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映画「傲慢と善良」を見てきた

この手の「小説が映画化しました!」
的な映画は映画館ではあまり見ることはなく、
大体はサブスク系か地上派の放送などで見ることが多いのですが、
今回は友人に誘われたのもあり珍しく映画館で見てきました。

日本映画の独特の雰囲気とセリフの中で
人間の面倒くさい部分が細かく表現されていて、、
まどろっこしいことが若干苦手な私は
中盤でちょっとうずうずしながらも
これが人間っていうものなんだからちゃんと見なきゃ。。。
なんて思いながらの約2時間。

つくづく自分が人間らしさの少ない
宇宙人的な考えの生き物だなぁと
痛感しましたが、せっかくこの地球に生まれてきたんだから、この面倒くさい人間というものを体感してそこからの気づきなんかを持って帰れたらいいのかなと、、、
これも学びなんだなと思いながら見ていました笑


ただ、後半は主人公の2人の人間らしさ、
いいところも、悪いところもある
本音の人間らしさを曝け出していて
その姿が美しいなと思った自分がいました。


途中の綺麗な恋愛ではなく
まさに、傲慢さや善良さが入り混じっている複雑で隠もあり陽もある、ありのままの人間らしさをすごく美しいなと感じました。

その不完全で危うい、面倒くさいことをあえてしているような人間を世の中はメンヘラと呼ぶのかもしれないけど。。。

私の不得意分野であるメンヘラだけど
そこに何か大切なことがあったりするのかなと。


面倒くさいからこそ、
面倒くさくならないように
自分を完璧に仕上げたり
面倒くさいことを言わないように
脳をフル回転させてから結論だけを言葉にすることに良さを感じていたけども
本当は私もとっても複雑でめんどくさい人間になんです!
それでも好きになってくれますか?
って言えるくらいの恋愛ができたらそれはそれで
美しい人生の1ページなのかもしれないなと感じたりもしました。


人生は完璧に生きることを目標としているのではなく、その過程を経験することに意味がある
なんて言葉を聞いたことがあるけど
その過程の中に美しさがあるのかもしれないと思えば
日々の面倒くさいことも
喜びや感動を味わうためのアイテムなのかもしれない


そう思った時に
私は果たしてそこまで自分の隠と陽、
傲慢と善良さを曝け出せる相手を見つけることができるのだろうかと
見つけるというか、、、
見つけるのではなく
その曝け出しをすることが人間に対してできるだろうか?


それができない限り今世で、本当の意味で
心からの繋がりを感じれる人には出会えないんだろうなと。

結局、自分を理解してもらったり幸せを感じたり愛しさを感じれるようになるのは
自分次第。
自分の姿勢を変えないと
そこに気づかないと
理想的な人との繋がりは体感できないのかもしれない。
と感じた映画でした。


ただ、もし、自分に来世と言われるようなものがないと分かったら、もっとこの人生を全力で体験するはずだ。

それくらいの気持ちでこの人生を体験しなければいけないなと思いました。


結局、こんなことを書いてる私は、単純な人間ではなく複雑で面倒くさい人間かもしれない笑

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