過剰対応が招く 土壌汚染リスクの増大
3.11に端を発する放射能汚染の問題を機に、ゼロリスク症候群、ゼロリスク信仰、などといった指摘(現象名?)が色々なところでよく見られるようになったという印象を抱いている。
関連する話で、その性質から法規制では必ずしもゼロリスクを求められていないのに、実務ではゼロリスクの要求と戦わなくてはならない事例として、土壌汚染について考察したい。
この事例は一般市民だけでなくプロ同士の取引でも生じうるという点も興味深い。
1.ゼロリスク心理が土地取引を滅ぼす
自分の土地や周辺が、過去数十年にわたってどのように使われてきたか、正確に把握している人や会社はどれだけいるだろうか?
自分の土地が24時間365日厳格に監視され、地下を含めて有害物質が投棄され土壌に浸透することがないよう管理されているという人がどれほどいるだろうか。
あなたの土地も、実は有害物質で汚染されているかもしれない。
それは普通に生活したり、事業を営む上ではあまり問題にならない汚染であることも多い。しかし、いざ土地を売りたいという話になったとき、調査してみたら汚染が発見され、対策には多額の費用がかかり、二束三文でも売れない、という事態に陥るかもしれない。
これが本稿で取り上げたい問題である。
土壌の調査をするようなケースは、たとえば個人の一軒家を売り買いするような場面ではそうないと思われるが、一定の工事を行う場合など法令が土壌調査を義務付けるケースや、買主が購入検討の条件として調査を求めるケースが想定される。
売りたい、工事したいというニーズが生じたときにはじめて調査が行われ、汚染が発見されるというケースは多い(何のきっかけもないのに土壌汚染を把握するというのはレアケース)。
ひとたび土壌汚染が発見されてしまうと、利用価値があったはずの土地であっても購入が忌避されたり、多額の費用をかけて浄化等をしないと売れないために売却を諦めたりする事態が起こることがある。こういった問題はブラウンフィールド問題と呼ばれることもあるようだ。
前述のとおり、土壌汚染は普通に生活している程度では何の影響もないケースも珍しくない。また土壌の入れ替えなどの大規模措置によらずとも、封じ込めなど、より簡単で安価な方法の対処で十分リスクが低減できるケースも多い。にもかかわらず、土壌汚染の事実が知れ渡り風評被害が発生することを懸念したり、将来にわたって完全に制約なく土地を利用したいと思ったりして、高額な措置を求めるケースがしばしばある。こうして、本来価値があるはずの土地が塩漬けされ、眠っていく。
ゼロリスクを求めて、特定の県産の農作物を一切忌避したり、過剰な除染措置を行ったりする場面とどこか似ているように私には感じられる。
ブラウンフィールド問題については少々古いが以下のアミタ社のコラムも参照。
2.契約相手はリスクコミュニケーションが難しい
土壌汚染についてはリスクコミュニケーションが重要だと言われている。環境庁のパンフレットでも記載がある通り、土壌汚染に関する問題とは、土壌汚染が存在すること自体ではなく、土壌に含まれる有害物質が人体に入ってしまう経路があること、である。「土壌汚染があったとしても、摂取経路が遮断され、きちんと健康リスクの管理が出来ていれば、私たちの健康に何も問題はありません。」
https://www.env.go.jp/water/dojo/pamph_law-scheme/pdf/00_full.pdf
もちろん、そうはいうものの、実際に汚染の存在が判明している土地の近くに住まうことは気持ちの良いものではない。実際に汚染そのものが目に見えるわけではないところもポイントに思える。見えないものは気持ち悪いし、怖い。
実は(知っている人には常識だが)、汚染の存在を認定されている土地というものは身の回りにいくらでもある。たとえば下のリンクは横浜市で指定された汚染区域のページであるが、けっこうたくさんの土地が汚染されているように見えないだろうか。横浜市はとても広いという点はあるだろうが。
土壌汚染対策法では、汚染が判明した土地を二種類に分類している。ひとつは要措置区域、これは健康被害の可能性が認定されており、対策が必要とされる土地をいう。もうひとつは形質変更時要届出区域といい、そのままでは健康被害の可能性はないと認定されているが、掘削などを行う場合には届出や措置が必要になる土地をいう。
2つの分類についてはこちらの太平産業のサイトなどに詳しい。
つまり、「汚染があっても健康被害の可能性がない区域」というのは実際に存在し、法令上も想定されており、行政もそのことを認定してくれる、ということになる。
ここでリスクコミュニケーションの話になるのだが、土地所有者はこうした制度上の安全保障?なども引用して、心配するステークホルダーに安全であることを説明するだろう。
相手が近隣住民などであれば、行政も健康被害の可能性がないことを認定しているわけだし、なにより所詮は人様の土地の話であるし、あまり汚染を除去しろだとかは強くは言わないと思われる。実際、全国には多数の汚染が判明した土地があるが、その周辺で普通に生活が営まれている。ニュースで頻繁に見聞きするほどトラブルが起きているわけではないと思われる。
しかし、相手が購入希望者であれば話は別だ。購入者は自分の損得に直接影響のある話なのだから「まあいいか」では済まさない。
売却を諦められればよいが、売却を急ぎたい事情があるような場合にはそうもいかない。結果、足元を見られ、本来不要なはずの汚染対策措置まで求められる場合がある。
「将来何にでも使えるように汚染がない状態にしろ」とか、「封じ込めでは周辺住民が安心できない」とかいった論法により、安価かつ十分な「封じ込め」でなく、極めて高額の「掘削除去」を強要されるケースがある。
「なんにでも使えるように」とか「安心」などは、全く根拠がないと言い切れないところも難しい。深く基礎を打つような工事をするにあたっても、汚染土壌があればその分処理費用などコストがかさむ。また「安心」についても、実際に健康被害の恐れが小さい汚染情報であっても、市民に不安を与えたり、地価変動要因になりうるという考え方があるように見受けられる。
https://www.city.sapporo.jp/kankyo/dojo_osen/iinkai/documents/22-2shiryo3.pdf
適切な処置というのはケースバイケースだろうが、実際に相当程度の掘削除去が行われているというデータがある。
https://www.gepc.or.jp/04result/press28.pdf
余談だが、法令上、想定される汚染への措置を「除去等」と定義しているのも筋がよくないように思う。法令が掘削除去を原則として想定しているようにも見える。
3.汚染はどこからでもやってくる
もし掘削除去を強いられる所有者が自ら汚染原因者である場合は、相応の負担を被ることもやむなしという考えはあろうかと思うが(それでも掘削除去が常に必要かという問題は残るが)、自然由来の土壌汚染というものも一般に広く存在している。
土壌汚染対策法で定義する土壌汚染とは、単に人体に有害な物質をいう(法令上は「特定有害物質」と定義)のであって、排出原因が誰かは問わない。法目的が健康被害の防止であることからこれは当然である(人工物はすべて悪であるとか反出生主義的な思想は土壌汚染対策法にはないので)。
人為由来の汚染との違いは、法令上必要な措置等に要した費用などを原因者に請求できるか否かの違い(自然由来の場合は原因者は存在しないので請求できない)程度であって、区域指定等の扱いは変わらない。
つまり、土地取引へのインパクトの観点でも、自然由来汚染も同様に土壌汚染として考える必要がある。自然由来であっても汚染されていることによる措置義務の発生や費用増加、不安感といった要素は同様である。
自然由来汚染の代表は、もともと土壌に含まれている重金属類である。日本は火山列島であり、噴火や地殻変動で地中の重金属が移動して地表近くまで来たり、堆積したり、といった説明がされることがある。具体的な物質としてはカドミウム、鉛、六価クロムなどが挙げられる。
他には、海水には一定濃度のフッ素が含まれており、臨海地区の土地では海水由来のフッ素で汚染されている場合がある。温泉付近では温泉水由来のヒ素で汚染される場合がある。
そのほかにも、地下水の流れによって汚染が移動した結果、土壌が汚染されてしまうというケースも実際にあるようだ。台風による土砂くずれ、噴火による火砕流や噴煙で汚染が移動するケースもあるらしい。
こちらの記事で紹介されている仙台の事例では、カドミウム、フッ素、ヒ素が基準の数倍程度検出された事案で、かつ自然的原因によるもの、とされているとのこと。
化学物質や汚染物質イコール人為的原因によるもの(だから誰かを責め立てて責任を取らせればよい)というわけではないことの一例と思う。
他に、自然由来汚染が存在する土地の売買について、損害賠償請求が認められた事例として、東京地判 平28・11・25など。
https://www.retio.or.jp/case_search/pdf/retio/115-110.pdf
土壌汚染の状況は個別に調査しない限りは判明せず、日本全体の土壌汚染の状況を包括的に調査した例もない(大変すぎるからか)。汚染が移動したり、新たに発生したりのケースも考えれば、いつあなたが汚染当事者になるやもしれぬ、という可能性を認識すべきである、というのは言い過ぎだろうか?少なくとも事業者としてある程度の土地を保有している場合にはあてはまると思う。
4.想定される問題
土地を売却する目的は通常、キャッシュを得たいという動機に基づくものと思われる。
特に、「どうしてもキャッシュが必要で、土地を売らなければならない」という事情が発生してしまうケースで特にこの問題が深刻になると思われる。
資金調達の手段としてセールスアンドリースバックはわりとメジャーになっていると思う。返却時の条件が付されていることが多いと思われるが、契約条項において更地化・汚染浄化義務を課しているケースがあるようである。
前述のとおり法令上は必ずしも「浄化」は必要でなく、浄化には多額の費用がかかるので、ある意味無駄な費用をかけて土地を手放すことになりかねない。また、汚染は外からやってくるケースもあるので、契約時に土壌調査をしたからといって安心できるとは限らない。
したがって、リースバック契約をするにあたっては契約条項をよく検討する必要がある。「浄化する」「汚染のない状態で返却する」といった文言がある場合には要注意。「原状に戻す」というのも、リースバックの場合にはよく考えるといつを基準にした原状なのか明確でない場合もあると思われる。少なくとも土壌については、どういう状態での返却をOKとするのか、慎重に検討が必要。
とはいえ、相手方(買主)が土壌汚染リスクをあまりよく理解せず、「汚染は除去すべき」と譲らないケースも多々あると思われる。詳しい説明をしたり、落としどころを見つけるため、専門家の関与を求めたほうがよいケースもあるかもしれない。
居住用マンションでも時々見るが、定期借地権付きのマンションについても、もしかしたら同じ問題があるかもしれない。期間満了時には更地返却となっている契約が多いのではないかと思われるが、更地の定義は?土壌汚染については?更地化義務の契約条項に汚染除去的な内容が含まれてはないだろうか?
多額の費用がもしかかるとなったときに、共同所有であるマンションではだれがどうやってその責任を負うことになるのだろうか?
借りる側、貸す側の両方にとって悩ましい問題といえるのではないだろうか。少なくとも、私が個人的にマンションを買うのであれば、定期借地権付きのマンションはできることなら避けたい。
5. 原因者がいる場合の問題
人為由来の土壌汚染については、調査や除去にかかった費用を汚染原因者に請求できるのでは?という論点があるが、これもまた難しい。
土壌汚染は長期にわたり滞留したり、汚染から発見までの期間が非常に長くなる場合があるという性質がある。このため、いわゆる民法上の損害賠償請求(不法行為責任)を行ったとしても、行為時点から相当期間が経っていれば消滅時効により請求ができないケースが想定される。
これではたまたま費用負担を被ることになった土地所有者に不公平ということで、土壌汚染対策法は賠償請求の特例を設けている。以下引用
第八条 前条第一項の命令を受けた土地の所有者等は、当該土地の土壌の特定有害物質による汚染が当該土地の所有者等以外の者の行為によるものであるときは、その行為をした者に対し、当該命令に係る汚染の除去等の措置に要した費用を請求することができる。
つまり土壌汚染対策法では、汚染が発見された土地に関して行政が措置命令を出した場合には、命令に従って措置を行う義務が土地所有者に課せられるが、その費用は原因者に請求することができるというように規定していることになる。
時効期間は8条2項により、汚染発生時でなく措置実行時を起点とすることとされており、救済可能性を広げている。
このポイントは「行政の措置命令」がキーになっていることである。というのは、実際の汚染対策の場面では、行政の措置命令があったから対策を行うという場面よりも、行政には関係なく売買当事者間の合意等に基づいて対策されるケースが多い。
少なくとも条文上は、土壌汚染対策法8条の請求権が発生するのは行政から措置命令を受けたケースに限られるので、任意に行われた除去費用の請求を土壌汚染対策法8条に基づいて行えるかどうかは明らかでない。また、行政が要求しないようなレベルの対策を行った場合にはよりこの不安が強い。
つまりたとえば・・・
汚染発見→区域指定→法令上の義務として必要な措置は封じ込めとモニタリングどまり→土地の買主からは掘削除去が求められる→掘削除去して売却→売主が汚染原因者に費用請求→法令上の義務としての措置費用を超える費用は負担義務はないとして負担拒否・・・
事例ドンピシャではないが、汚染者がはっきりしているのに賠償責任が否定された事例として、たとえば東京地方裁判所平成 24 年 1 月 16 日判決など。
また、仮に汚染の発見が早く、土壌汚染対策法8条の行政命令の有無を問題にしなくてもよいような事案であっても、どこまでの費用を請求できるかは要検討と思われる。
というのは、前述のとおり一般的に相当割合で費用の掛かる掘削除去が行われている一方で、行政は必ずしも掘削除去を求めないという現状があるからである。不法行為責任も無制限に賠償を求められるわけではなく、相当な因果関係がある損害に限られるわけで、土地所有者が(より高く売りたいからという自身の事情により)任意に行った措置が「相当な因果関係がある」と認められるかは、ケースバイケースであろうと思われる。
従って、汚染原因者が明らかなケースであっても、対策実施時には安心できない、慎重に検討する必要があるといえる。
交通事故賠償で勝手に示談してはならない、という話に通ずるものがあるように思われる(保険会社は規定の範囲内でしか払わないため)。
6. 最後に
端的に言えば、まとまった土地の売り買いを考える場合には、必ず土壌汚染についても考慮しておくこと、売却等の際の契約には気を付けること、といったところだろうか。
売買やリースバックの際ほどにはもめないとは思うが、契約内容次第では土地貸借の場合にも同様の問題が発生することに注意したい。深く基礎を打ったり、掘削を行うような土地の貸借の場合には、同様に注意したほうがよいかもしれない。
困窮しているときこそこのようなリスクの検討がおろそかになりがちなので、法務担当者は特に注意しておきたいところ。
また、汚染対策を求める側の立場においても、土壌汚染についてある程度基本的な知識を持っておけば、ゼロリスク信仰に基づく過剰な(無駄な)コストを発生させて機会損失を被るケースも減るのではなかろうか。
双方が賢くならないとブラウンフィールド問題のようなリスク問題は解決できない。少なくとも、必要性が明確でないのに、むやみに徹底した汚染対策を求めることはやめておこう。