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「公用文作成の考え方」を参考にしよう

いきなり引用で恐縮だが、「公用文作成の考え方」が70年ぶりに改訂されたとのこと。

この通達(決まり?読売の記事では「手引」と称しているが)自体は存在は知っていたが、読む機会に恵まれなかったのでこの機会に読んでみたいと思い、備忘としてこの記事を書いてみる。

1.民間がこの手引を読む意義

旧手引についてのWikipedia解説などでは、「・・・国語改革政策の一環として、また政治・行政の民主化の一環として、さまざまな公文書を「官庁自身や一部の専門家のためのもの」から「広く国民全般のためのもの」に改めることを目的」としたものがこの手引であるとのこと。

つまり、公文書を作る人のためのものであって、読む人のためのものではない。ということは、公文書を読むのにこの手引がなければいけないというのでは本末転倒なのであって、基本的には民間の人々がこれを読む必要はない、はず。

ただ、公文書もほかの文書も、基本的に誰かに読んでもらうことを目的としているものである点は共通と思う。そして、この手引には前述の目的から、読み手に読みやすい、明確に理解しやすい内容の文書を書くためのエッセンスが含まれているものと思う。そういった点は参考にできるはず。

また、特に法令など技術的専門的な文書については、細かいミスで理解が変わってしまうものも少なくない。それは会社の規定などでもある程度は同じはず。不適切な文書によって無用な混乱を招いたり、悪いときには懲戒処分など、人の人生を狂わせてしまうような重大な判断の誤りを引き起こすこともある。そのような問題を起こさないようにという面でもこの手引は作られていると思うので、参照すべきところはあると思う。
民間の類似の手引としてはJIS Z 8301:2019の付属書Hなどが有名だろうか。というか、JIS Z 8301自体がこの手引を引用していたりするし。

余談だが、Wikipediaの記述で興味深かったのが、日本民法といえばこの人という穂積陳重先生が、1890年に記された著書の中で既に法文改革による民主化という主張をされていたことは注目したい。
そういえば内田貴先生が主導された債権法改正でも同様のことが言われてたように思う。それが今般改正で奏功したかはアレだが。。。

2.読んでみる

それでは早速読んでいくことにする。なお、改定前のものはほぼ読んでいないので、この文章は改定された点をピックアップして検討するものではない。

一応、手引本体のリンクはこちら。

PDFで48ページもある上、いきなり目次もなく本文が始まるのでビビるが、本体部分は8ページだけで残りは「解説」というAppendixなのでご安心。もっとも、「解説」を読まないと具体的なアドバイスが少なくてイメージしにくいかもしれない。

なお、いきなり文句ばかりだが、この手引のPDFがコピー不可の形式で作られているのは非常に不満。これだと実務でも参照するのに非常に不便ではなかろうか?
意図的なのか不明だが、デジタル文書をコピーさせないようにしたがる文化は、無用に社会の効率を下げ、文書に対する健全な批評や活用としての引用を阻害するので大変よろしくないと思う。

以下、「解説」の項目番号にあわせてコメントしていく。

(1)文書とは何か的な部分

[基 1 (1) ア]
公用文は書きたいことを一方的に書くのではダメで、読み手が知りたいことを想像して書く、という冒頭の説明は素晴らしい。いつも読み返したい。

[基 1 (1) エ]
用語の統一と、組織で作成する文書については部署等で考え方を統一する、というガイドも参考になる。何かプロジェクトやシステムなどを作ったりする際、言葉をちゃんと定義することの重要性というのは自分の経験からも痛感する。

[基 2 (2) オ]
必要に応じて、ではあるが、図表等で視覚的効果を活用することも重要だし、それと同様に文字フォントや文字色も大事。特にフォントは、多くの文書で使われていると思われるMS明朝が微妙に感じられるので一考を要する。

個人的にはヒラギノや游ゴシックが好きだが、あまり新しいフォントやAppleのフォントだと表示されない方もいるのでは、と危惧。みなさんはどんなフォントが好みですか?

[基 2 (2) カ]
誇張された情報がないか、は特にカジュアルめな文章や報告書などでは要注意と思う。この手引では「抽象語は使わない」というガイドはないが、法務スタッフかけだしの頃は徹底して注意された記憶がある。抽象語が出てくる文章は、根拠薄弱、中身がない、だまそうとしている、のいずれかと思って差し支えない、とまで言い切れないかもしれないが、それに近いと思う。

[基 2 (3) イ]
要は差別・偏見を固定化するようなバイアスが含まれる言葉遣いは避けよう、ということと思う。しかし、何か忖度しているのか、タイトルが「読み手が違和感を抱かないように書く」となっており、わかりにくい。この部分のガイドの必要性が表現できていないと思う。「誰かが気を悪くするからやめよう」という表面的な話ではないはず。ベースは人権擁護だと思うが、そう正面から書けなかったのだろうか。

[基 2 (3) ウ]
敬意表現は難しい。組織によって敬意表現の文化が違ったりするので悩ましい。表現豊かなのは文学的にはよいことのように思うが、一般社会では(ビジネスに限らず)なるべく簡素に書くような向きになってくれたらよいと思う。実際、多重敬語で文意が逆転してるように見える文章も方々で少なからず見受けられる。

最近見てうなずいたサイト様にリンクさせていただく(駄

ムダな敬語は省く。シンプルに伝わる文章のダイエット:書評 | ライフハッカー[日本版] (lifehacker.jp)

(2)主に使う文字の選択に関する部分(「表記の原則」)

[Ⅰ-1 (1) ア]
普段生活していて、ある漢字が常用漢字かどうかなんて意識することは少ないと思う。なので常用外を使うなと言われても困るだろうと思ったが、我らがWordでチェックできるというのを今知った。

[Ⅰ-1 (1) ウ]
固有名詞は常用外OKらしい。まあ、当然か。

[Ⅰ-1 (2)]
常用で書き表せない場合の対処がいくつか挙げられているが、正直、どれも読みにくさ増幅機構に見える。

アやエの「平仮名で書く」は、読みにくさにしかなっていないと思う(動植物名とかは仕方ないが)。イの「同じ訓を持つ感じを用いて書く」は文の意味が変わってしまって本末転倒。エオカの振り仮名対応も避けるべき。字が小さすぎて読みにくいし、読み上げソフトが狂うぞ。

唯一、ウの「常用漢字を用いた別の言葉で言い換える」だけは支持できる。これならちゃんと意味を損なわない文章で書けるし読みやすい。
そもそも、誰にでも読みやすい文章、という目的を考えれば、読みにくい語彙ははじめから使うべきでない。ベーシック英語の考えに近いかもしれない。

[Ⅰ-1 (3)]
個人的にはこの「常用漢字表に使える漢字があっても仮名で書く場合」は感動した。前々から、様々な文書を読んで「これ普通は漢字にしないことが多いけど格好つけて漢字で書いてるな~」と感じることがあったのだが、その使い分けは自分でも線引きできていなかった。それがこの手引で明確になった。この手引の分類は、自分が読む文章での一般的使い分けとしてもそうなってると理解できるものだと思う。

 例 助詞は平仮名で書く。「~くらい」「~など」。 補助的に用いる動詞は平仮名で書く。「~していただく」。 指示代名詞は平仮名で書く。「これ」「それ」「どこ」「そこ」。

これを意識して書き分けられれば、日本語が母語でない方などの可読性も高まるのではなかろうか。

なお、決めの問題なので反対ではないが、漢字で書くとしている(例外の例外?)接続詞として挙げられているものは平仮名の方が読みやすいと個人的には思う。「及び/および」「又は/または」「並びに/ならびに」「若しくは/もしくは」。これらは法律用語で頻出するからそう扱うのかもしれないが、どれも接続詞以外の使い方もある語なので、接続詞のときは一律で平仮名、としたほうがきれいな整理だと思う。

[Ⅰ-2]
ルールに則った送り仮名省略可能語の中で、「雇主責任」という語が例示されているが、この語だけは正直見たことがなく違和感がある。https://www.google.com/search?q=%22%E9%9B%87%E4%B8%BB%E8%B2%AC%E4%BB%BB%22

検索しても中国語として使われているサイトばかり出てくる。昔は使われた表現なのだろうか。

[Ⅰ-3]
外来語の表記だが、僭越ながら疑問が多い。

まず、「外来語」の定義がない。カタカナの話しかしていないから、一般的にカタカナで表記される語、ということなのだろうか?名詞には外来語でないが一般的にカタカナ表記の語は多そう(「ベーゴマ」「カバン」とか)。

更に、この手引内で方針がぶれているように見える。言語に近づけるのか、日本語で浸透している発音に近づけるのか(eightとかpaintは長音なのか?)、それらを無視して一般的な表記に近づけるのか。というより、つまるところ慣用に従う、というように見える(手引の意味がない・・・)。

ななめ読み程度にとどめておいた方が自然な文章が書けるのではないか、とすら感じてしまった。

なお、私も古い人間なのか、IT系の単語は長音符号をつけないで書くのが好み。コンピュータ、サーバ、モータ、ドライバ、・・・

[Ⅰ-4]
数字の使い方はまあ常識的なことをまとめてくださっていると感じた。

ただ、算用数字を使う場合の書き方の工夫は、漢数字を使うにしても同じではないかと感じた。「四、五十人」の書き換え例として「40~50人」というのが示されているが、これらは厳密には意味が違うのではなかろうか? 「四、五十人」というときはだいたい40人弱~50人強とか、about 40 or 50くらいの範囲の感じがする。「40~50人」だともうちょっと狭く解釈されるように思う。これは人によって感覚が違うかもしれないが。正確に対応させるならそのまま「4、50人」と表記すれば、書き換え元と同じ意図にできるのではないだろうか。

[Ⅰ-4付]
「以上」「以下」と「未満」や「後」の使い分けは、法律文書で使うときはここに書かれたとおりに解釈しているが、公用文でも同様にしてくれるのであれば助かる。

[Ⅰ-4 (1) ウ]
二重かぎかっこ(『』)は通常使わない、というのは興味深い。社会人初年度のとき、先輩からは「」の中では『』を使うよう指導されたが、ところにより作法が異なる部分であったのか。
個人的には『』は単なる「」よりも強調する感じ、装飾の感があり、業務文書で使うには抵抗があった。まあ、好みの範囲か。

文章を閉じる場合の片かっこのみで用いるのはどういう場合なのだろう?箇条書きの項番のレベルで差をつけるときに使うことはあるが・・・
 1) ←こういうやつ

なお、この項のアでは欧文表記にも触れている(ピリオドとカンマ)が、ダブルコーテーションやアポストロフィなどには触れていない。そういう欧文用の記号は公用文では使わないということと理解。

[Ⅰ-4 (2) ア]
ニュースでは特徴の一つとして取り上げられ、余計な点で少々バズっていた「?」や「!」の使い方。読んでみると実に常識的なことしか書いていない。恐縮ながら、批判されている方はだいたい本文を読んでいないのではないかと思う。
例えば、記載されている感嘆符の使用例の一つは「遊びに来てください!」というもの。こういう呼びかけをするような作成物であれば、むしろ「!」を使うのが自然ではないか。

[Ⅰ-6 オ]
日本人の姓名ローマ字書きの場合の順番論争に決着か。と思ったら、私がこの情報を追っていなかっただけで、文化庁の方針としては2000年ごろ、直近ではオリパラの直前に、公的機関においては姓→名の表記を原則とすることが決定されていたようだ。

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/seimei_romaji/pdf/moshiawase.pdf

確か他国でも、日本と同じく姓→名という順番で表記する国が少なからずあるという話は聞いたことがあったので、軽く検索したらそのような新聞記事を発見。

これも自分の文化的背景を示す一例かもしれない、と考えれば、自分も普段からこれに倣って姓→名で表記することを試してみたいと思った。

(3)主に言い方の選択に関する部分(「用語の使い方」)

[Ⅱ-1]
「及び」「並びに」、「又は」「若しくは」の使い分けは知っていたが、「場合」と「とき」の順番があるというのは知らなかった。一つの文で併用する場合には大きい条件のほうを「場合」で書くとのこと。

[Ⅱ-5 イ (ア)]
時や場所の起点を表すときには「より」は用いない、比較を表す意味と混同されるから。確かにそうかも。

[Ⅱ-5 イ (イ)]
「多少」「早めに」「しばらく」はできるだけ使わずに、明確な数字を示す。それがいいのはわかるが、諸事情、主に自分ではどうにもならない事情により、あいまいにしか書けない場面も一般には多いと思う悲哀。

[Ⅱ-5 ウ (ア)]
「排気ガス」が重ね言葉になっているというのはここで言われるまで気づかなかった。

[Ⅱ-6 ウ]
「たまわる(賜る)」「申し上げます」「参ります」「いたします」が多用される文化は役所だけでなく企業でもけっこう残っていると思う。うっとおしい。

[Ⅱ-7 ア]
~のメッカというたとえはあかんのか、そういわれればそうかもしれないが、代表例としてメッカが出てくるのは変な気がする。でも言われてみればメッカ以外の地名を使った類似表現って思いつかない。

(4)主に文章の作り方に関する部分(「伝わる公用文のために」)

[Ⅲ-3 ウ]
箇条書きを使うべきとする基準として、具体的に「情報を三つ以上列挙するとき」と示しているのは評価したい。上の方で「あいまいな言葉を使わない」と書いているので当然といえばそうだが、人によって感覚が異なるところかと思うので、具体的閾値を示すことには意義があると感じる。もちろん絶対的基準ではないが。

3.感想

行政文書だけでなくビジネスでも参考になるような手引であると改めて感じた。いろいろと参考にしていきたい。

ところで、自分が使う観点でなく、公用文の運用という点で気になったところを書いておく。

まず、この手引は主に作成時点で公開するような文書類をターゲットにして作成されているようだ。しかし、いわゆる内部文書、組織内で使われる報告や稟議、内部通知や規則などについても、ほぼ同じ手引が適用できるのではないかと思う。
たとえば、組織内では割と雑な文書を作成することがよくある(特に偉い人)し、それが原因ミスコミュニケーションや無駄な手間がかかることは枚挙にいとまがない。あらゆる文書には読み手がいるわけで、読み手に伝わるかどうかという点は常に考慮した方がよいだろう。
特に行政機関の文書は公開されることが原則であるから、文書公開時に説明義務が容易に果たされるよう(内容理解や確定のコストが回避できるよう)、という観点でも内部文書の適正化は望まれる。

次に、事務作業の手間について考慮していない点も気にかかる。単に文書という成果物のクオリティだけを考えれば手引の内容は全く仰るとおりなのだが、良い文書にするためには技術やノウハウ、工数が必要だ。リソースは有限であり、文書作成だけにかかりきりというわけにもいかない。
そこは組織内部の工夫の問題と言われればそうであるが、手間の問題についても言及が欲しかった。
たとえば、公用文がコミュニケーションということであるなら、公開しておしまいという一方向の発信はむしろあまり適切でなく、読み手とのやり取りを前提とした文書があってもよいはずである。
具体的には、例えば文書公開後に問い合わせを受け付け、QAを後から追記していき一体として公開することは色々な文書で見られると思う。もとの文書の品質を上げれば問い合わせはないはず、という考えもあるかもしれないが、すべての問い合わせを想定して文書を作るより手間は少ないと思う。
あるいは、テンプレートの利用については通知等に関してのみ推奨されているが、その他の文書についても良質なテンプレートの利用や参照は推奨されてもよいと思う。世の中によりよいプラクティスがいくらでも存在しているのに、それを使わず、見もせずにゼロから作成するというのは、たいていの場合はうまくいかないか、無用な手間がかかることになる。行政事務は芸術家や表現者ではないのだから、積極的によいテンプレートを使いまわした方が早く、読み手にとっても望ましいだろう。

最後に、インターネット上で公開している文書で、読みやすさについての文書でありながら、公開がPDFのみというのは非常に残念。レスポンシブデザインという考えが出てきたのはもうだいぶ古い話かと思うが、PDFで公開されるとPC以外のデバイスではとても見にくい。引用したくてもコピペ制限されているPDFも多く、無用な労力がかかる。検索性もよくない。
たとえば、EUの法令条文サイトなどでは多くの条文がPDFとHTMLで提供されている。印刷するときにはPDFがいいし、ブラウザで見るときにはHTMLがいいのでこれは助かる。

もちろんすべてPDFをやめろというつもりはないが、ウェブサイトで公開する以上、基本はHTMLで作成してほしいし、PDFと両方使えるようになっているとなおよいと思う。
以上、自戒も込めて。