親しい間柄におけるレイプ、その影響

最近ベッドでゆっくりしてる時間が多かったので、「シャンタラム」という小説を読んでる。これはムンバイで実際に起こったテロ事件の犯人についてその半生、逃亡生活、恋愛、心の内面、裏社会のことなど、ほぼノンフィクションで書かれている小説。

私が今度ムンバイに行くと話したとき、リシケシで会ったインド人が、行く前に読んだ方がいいと薦めてくれた。

その小説の中にカーラという女性が出てくる。カーラのことについての文章で興味深いものがあった。

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P523
But after the rape, Karla lost the part of loving that grows in trust. Other kind of love remained in her --friendship, compassion, sexuality, --but  the love that believes and trusts in the constancy of another human heart, romantic love, was lost.

(訳)しかしレイプの後、カーラは信頼の中で育まれる愛の部分を失った。友情、思いやり、セクシュアリティなど、他の種類の愛は彼女の中に残っていたが、他の人間の心の不変性を信じ、信頼する愛、ロマンチックな愛は失われてしまった。
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カーラは、思春期の頃、慕っていた大人の男性から同意の無い性行為を受けた。
それによって上記のような弊害が出たという。

この文章を見たとき、なんとなく、自分が感じていた、説明できない自分の状態を、言葉で表現してくれている気がした。

私は小学生の頃から、男子に対してキツい性格だったという自覚がある。女の子には優しくできるのに、男の子には容赦ない物言いをした。男の子は傷つけてもいいと本気で思ってた。付き合った人に対しても、慣れれば慣れるほどキツい言葉を使った。

けど、小学1,2年の頃はそんなことなかったよな、と思う。男女関係なく仲良くしていた。男子に対する説明できないイライラ、嫌悪感が、この頃はなかった気がする。

カーラの話があって、ふとよぎったのが、小学3年生くらいの夜のできごと。
おばあちゃんの家で親戚の子どもたち皆と一緒に寝ているとき、2つ年上のいとこ(♂)にパジャマの中を触られた。いとこが私の体のあちこちを触っている間、私はただただ寝たフリをするしかなかった。寝返りを打ってみても、少ししたらまた手が入ってくる。気持ち悪かった。絶望した。何分経ったかわからない、20分かもしれないし10分だったかもしれない、おばあちゃんが咳をしたことでようやく終わった。いとこは元々寝ていた所に戻っていった。

次の日、気まずくなるのは嫌だったから普通に接したつもり。親にも誰にもこのことは言わなかった。けど今も、親戚で集まったときにそのいとこと楽しく会話するのは難しい。目を合わせられない。

もしかしたらだけど、このときから私の男性への嫌悪感、不信感が芽生えたかもしれない。そう考えると、タイミング的にクラスの男子に厳しく当たるようになったことも説明がつく。

このときのできごとは考えないようにしてた。だから最近まで思い出すこともなかった。けどもしかして、このときのことが私の致命的な傷になっていたりするのだろうか。

(ここのところ、自分のただの性質を、この出来事のせいかもしれない、とか、家庭環境がよくなかったからかも、とか、そんな風に後付けの理由を探してるような気がして、それでいいのか?と思うけど。
可能性としては、ありうるなと思った。)

自分がされたことをレイプとは思ってなかった。けど辞書を引くと同意のない性行為、ということだから、立派なレイプだ。
いとこを断罪したいとかは全く思わない。死ぬまでお互い話題にすることはないと思う。
けど、あの日を境に、「大好きなお兄ちゃん」が「なんだか気持ち悪い生き物」に変わった。それはすごい喪失感、裏切られた感。

自分が男性不信とは今まで思ったことなかったけど、男性にキツくなるのは少しそういう節があるということだろうか。

"友情、思いやり、セクシュアリティなど、他の種類の愛は彼女の中に残っていたが、他の人間の心の不変性を信じ、信頼する愛、ロマンチックな愛は失われて"

と物語の中にある。私の場合は''セクシュアリティ''に関しても、嫌悪感と紙一重である。
相手に「慣れている」、「独りよがり」、「こちらを征服しようとする」感じを覚えると、途端に拒絶反応が出る。これはその従兄弟の件で、されるがままだったことや、父親との関係の中で抑圧されていたことが関係してるのか。

"ロマンチックな愛''は本当に、私にはよくわからない。小学1年生のときには自然と好きな人ができた。けどそれ以降は、好きと言われて意識するようになった、とか、好きじゃないけどとりあえず付き合ってみる、とか、冷たくされて気になった、とか、顔が好き、とか。そんな風にして決して「love」ではない、「like」のまま付き合ってきただけの気がする。
今も、どんなに良い人でも、好きになれない自分に少しモヤモヤしている。

そうだと思いたくないけど、レイプの件で私の心のどこかが壊れたのなら、とても悔しい。
きっと従兄弟は軽い気持ちでしたのだろう。そして今も世界中で、こういったできごとは1日に数え切れないほど起きている。

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