子どもたちに教えてて、講師が問題を間違えるとか、普通だから。
塾を経営していますが、直接子どもに授業をすることがたまにあります。
その理由はいろいろあるのですが、
① 自分が単に教えるの大好きだから
② シフトが噛み合わずバイトが来られない時があるから
③ 稀にだが「眞山ご指名」のことがあるから
…といった感じ。
その際、ガチ系の中学受験の子たちに教えることもあるし、時にはセンターレベルの勉強を教えることもあります(難関大レベルはさすがに知識量が減ってない若者に任せています)。
…というのは前置きでここからが本題なのですが、
例えば、特に国語の問題を解説しているときに、僕はちょいちょい読解問題でミスすることがあります。それどころか、解いた後に解説を読んで「納得いかん!」という気持ちになることすらあります。
ちなみに算数も計算ミスをすることがたまにあります。(ただ、算数のミスはほとんど途中で気づけるので、答えまで間違えることはありませんが)
そして、それを「当たり前のこと」だと今は思うようになっています。
学生時代、バイトの一員として塾講師をしていたころは誤答なんてありえないものだと思っていたし、それゆえに予習をしっかりして授業に臨んでいました。ましてや、生徒や(たまに抜き打ちで見に来る)社員さんに時折ミスを指摘されようものなら、アイデンティティを失わんばかりに狼狽していました。
…今思えば、あほだったなぁと思います。
なので、今、塾長としてアルバイトの子たちに授業を任せるようになっても、予習しろと口酸っぱく言うことは基本的にありません。
というのは、
学生講師が熱心に予習をしてくれるのは基本的に大歓迎なのですが、嫌なパターンが一つあるからなのです。
それは、「予習をしている癖に『最初から実力で解いてます』感を出してくるやつ」です(あ、今の僕の塾にはそういう講師はいないことは申し添えておきます)。
どういうことか?
予習というのはつまり、授業で扱う問題をあらかじめ解く作業のことなのですが、それをショートカットして「解答解説に目を通す」人が少なくない。それとて、自分の解き方とテキストの解き方に齟齬がないように確認をしたり、それをもとに「どうやって教えたら分かりやすいか」を突き詰める時間を持ってくれれば良いのですが、単に解答解説を頭に入れて、それをまるで「自分の知識」であるかのように授業をするようなタイプの予習は、言って見ればカンニングやパクリと変わらないわけです。
自分が素で解いたら解けないくせに、「ヒントは傍線部の後ろに書いてあるんだよ」みたいに後付けで知ったかぶりの理屈をつけてくる講師は、思い切って言えば、要らない。と私は思ってます。
なぜそこまでカンニング的な予習を嫌うのか。理由は山ほどありますが、3つだけ挙げます。
①どうやって解くか、と同じくらい、誤答がいつ起こるのか、は大事な学びだから
特に国語の読解問題は「なぜそれが正解になるのか?」を理解するのが非常に困難です。だからこそ「こうやって考えてウを選んだんだけど、正解はイなのか…うーん」という試行錯誤をそのまま伝えたうえで、一緒に解説を読んで一緒に考えたほうが断然伸びます。
②上記の後付け系講師は、たいてい自分のミスを糊塗する(し、それは子どもにも見透かされている)ものだから
予習をしている講師の中には、単に真面目で熱心というケースも多いのですが、後付け系の講師は「自分が恥をかきたくない」という思いで予習をします。だから、万一間違えると「あ、問題勘違いしてた」とか「この問題はたまたま難しいんだ」とか、何か別のもののせいにしがち。さらに言えば、生徒からの鋭い質問にも真正面から答えられない(つまり、「わかんない」と言えない)のです。そして、そのことは子どもにバレバレです。「ああ、この先生そういう人なんだ…」とひそかにドン引きされ、年頃の女子の間では陰口の対象にすらなります。
③生徒とのラポールは知力ではなく人間味で築くものだから
これは、歳を重ねている私にとってはやり易い面も多いですが、逆に学生バイトだからこそやり易い面もあるかもしれません。年が近いだけで親近感は湧くものですからね。
ただ、「知っている(と言っても、付け焼刃だけどね)俺が、知らないお前に教えてやる」というスタンスの講師は、ラポールを全然作れません。
これは非常に面白いのですが、ちゃんとラポールを作ることができると、受験生は「●●先生のために頑張る」という意識をどこかに持ってくれるものです。あの“ドラゴン桜”でも似たような記述は出てきます。
そして、それは「知っている俺が知らないお前に~」というスタンスからは生まれません。むしろ「僕も解けない気持ちがわかるよ」くらいでちょうどいい。
教育という切り口から見れば、僕らは「自分より優秀な人材を育ててナンボ」の世界にいます。講師から見て、教え子のほうが「色々知っている」という分野があることは、大人vs子どもという構図であっても決して珍しいことではありません。特に中学受験の算数なんかはそう言う傾向があります。
自分が万能であるフリをするよりも、子どもが突出している部分に目を向けて一目置いてあげることのほうが個人的には大事だと思う。
…というわけで、僕は今日もノー予習で授業に臨むのであります。
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