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ビーンパイとブラックアウト

 コメディクラブで転換時のパフォーマンスをするため、ブルックリンからマンハッタンへ車で移動していたある日のこと。ブルックリンブリッジはいつものように渋滞で、夕方の空の綺麗なグラデーションを助手席の窓からぼんやり眺めていた。銀紙で包まれた小さな円形のものを何個も片手に積んで車の間を縫って歩いている黒人男性が目に入る。濃い髭、黒の丸縁眼鏡、質素だけど清潔で整った身なり、知的な佇まいというのはこういう事を言うのだろうなぁと思いながら観察していたところ、気づいたら私の窓までやってきていた。運転をしていた友人が「ビーンパイだよ、知ってる?すっごく美味しいから買おうか。」と、彼から二つ買った。確か1個2ドルだったと思う。包みはまだ温かい。今まで食べたことのない味!スパイシーで甘くてシンプルでどこか牧歌的でとても美味しいお菓子に私は大興奮した。

 何日かして、あのビーンパイの味が忘れられず、でも、どこに売っているのかわからなかったので自分で作ってみることにした。レッドキドニービーンズを炊いて、砂糖、シナモン、ナツメグ、生クリーム、卵も入れ混ぜた。パイ生地にそれを流し込み、さらに上からたっぷりシナモンをかける。オーブンで焼いて出来上がり。なかなかの出来栄え。一緒に住んでいたアフリカンのパートナーに食べさせたら「なんでマーヤがソウルフード作れるの?」と驚いていた。どうやらビーンパイはソウルフードらしい。その当時は宗教の事などわからなかったのでただ美味しいから食べていたけれど、最近調べてみたところイスラム教の方達が活動資金を得るために作っている伝統的なお菓子だということがわかった。ブルックリンブリッジで売り歩いていた人はなるほど、ブラックムスリムだったのねと納得。

 とにかくすっかりビーンパイにはまってしまった私は、材料を調達してはより理想的なビーンパイを求めて日々研究をしていたのである。そんなある日、午後にビーンパイを焼き、ジョギングに出たらなんだかすごく静まり返っている。街が異様なくらいしんとしている。なんか変だなと思いながら走っていると信号が光ってない。ますます変だ、と思いながらも走り続けた。そういえば人を見かけない。いつも騒がしいNYが本当に静かで少し怖くなった。走り終わって家に戻ると隣の家の人達が庭でバーベキューをしていた。「なんか静かで変なんだけど!」と声をかけると、「知らないの?!停電だよ!」。日中はテレビもラジオも使わないし、オーブンはガスだし、そういえば電気を使っていないから気づかなかった。というか、日本の感覚だと停電はすぐに復旧するものだと思っていたけど、こんなに時間かかるものなのね。隣人はバーベキューをしながら発電機を使ってラテンミュージックをガンガン鳴らし、慣れた様子で停電を楽しんでいた。家に居ても一人で黄昏時を過ごすのは寂しいし、そのブラックアウトパーティーに参加させてもらうことにした。もちろん、焼いておいたビーンパイも持参して。日が落ちて、ろうそくの火の灯とラテンミュージックはなかなか良い雰囲気。停電も皆で楽しめば怖くない。(2003年8月、29時間の大停電。怖い思いもせずに過ごせたのも、陽気なご近所さんのおかげ。当時の私は若く無知だったので、大変な事が起きていると全く感知していなかったけれど、今思えばかなりの規模の停電だった。無事に過ごせた事、周りの人達に感謝。)

 次の日、早々にブラックアウトTシャツが売り出されていたのは、さすがエンターテイメントの街、NYCだなぁと感心したのも追記しておく。

 *ちなみに、ビーンパイの豆はレッドキドニー豆ではなく、ピント豆が主流らしい。

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