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信長はいいもんなのか、わるもんなのか

小学校高学年になって歴史の授業が始まったとき、どっちが「いいもん」でどっちが「わるもん」なのかが引っかかって、内容が入ってこない時期があった。日本が大陸と戦ったとかは、自分が日本側なのでいいもんかわるもんかとかではなく、「自分側かそうじゃないか」で暫定判断しちゃえたんだけど、信長が出てきたあたりから、「信長は結局、いいもんなのかわるもんなのか、どっちなんだ」ってなっちゃったんですよね。戦隊モノとかドラゴンボールとかの延長線上では、現実世界の人の歴史は解釈できないということをそこで初めて知ったわけです。

生き物好きだったので、チーターがトムソンガゼルを喰うみたいなシーンはよく見てきたわけで、生き物が必死に生き延びようとすると、自ずとそういう、共存共栄とかいってられない抜き差しならないときってあるよねってことはわかっていたはずだった。「いきもの地球紀行」だと思って戦国時代を見れば、まっとうに解釈できたのかもなあ。

あのときにエラーを起こして解釈できなかった「世の中のいざこざやうまくいってない関係性には、必ずしもいいもんとわるもんと分かりやすく分けられるもんじゃない」という大きな学びを、いろいろ忙しくてイライラしていると忘れがちだったり、自分ばかり正しいように思ってしまうときがあると、「いいもんわるもんモード」になったりするので、そのたびに、信長のことをなぜか思い出すんですよね。自分のこともそうだし、世が世なら「効率よく人を殺しまくれた人」が「天才軍師」と賞賛されたりするわけです。それだけ、世の中の「正義とか悪とか」って、流動的なものだと知ったほうがいい。

最近は、戦隊モノだろうが子ども向けのアニメだろうが、その辺の配慮がされているようで、大人もびっくりの複雑さらしい。人種的配慮の向こう側の「善悪の配慮」みたいなことでしょうか。かたくなにならずに、人と接していけるような心の安寧を大事にしたいなあと。


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