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忙しい日々に映画館で寝ることの価値

子どもが生まれてからというもの、映画館に行くという時間の贅沢さたるや、とてつもないものがありまして。2時間、一人で、他になんのマルチタスクもせずに、ただ座って1つのコンテンツを堪能する、なんてわがままな過ごし方だったんだろうかと、独身時代から年間100本、そのうち30〜40本は新作を劇場で見ていた自分は痛感しております。

先日、初めて「どうしても見たい映画があるからワンオペ頼みます」とお願いして、土曜の昼間っから一人で映画館に行ったんです。であろうことかそこまでして行ったのに、寝落ちしちゃったんですよね。その作品が悪いというよりは、日々の寝不足と、薄暗くて広くてあったかい空間で気持ち良くなってしまったというのと、その作品の中身がなんとも壮大かつ霊的な空気感のもので脳が沈んでいく感覚で。2時間終わったけど、話がぶつ切りぶつ切りで全然覚えてないレベルの落ちをかましてしまったわけです。

あーこれは貴重な2時間が… と思いかけたんですが、案外嫌な気持ちにならず、よくよく考えてみればそもそも、映画館になかなか来れないという気持ち以上に、「空振りかも知れない探索」をこの2年、そもそもやってない中で、それをやったという自分の、なんというか“よくやった!“という誇らしさの方が上回ったからだと気づいた。寝落ちするかも知れない、どれくらいわかりやすい面白さがそこにあるか未知数の映画に突っ込むこと。そして結果寝落ちしたけど、そういう、無駄かどうかとか、効率的かどうかとか、得るものがありそうかどうかとかを、度外視した行動に、飢えていた自分に気づいたんです。奇しくも映画のメッセージも、ありたいようにそのままあればいい的なところがあったし、そういう意味ではそんな映画を寝落ちしながら見るという視聴態度は、至極正しい気もしてくる。

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世の中、すぐに理性が偏重になりがちで、なんでもレビューやらスコアやらが客観的に可視化されて、かつ忙しいとマルチタスク、トリプルタスク当たり前で、倍速再生な日々を折り畳みながら時間割に押し込めて生きがちなそんな空気だからこそ、映画館で2時間寝ることの尊さを思い出す、あれはいい土曜の午後だったんだなあと今思う。貸し借りが苦手なお互いなのでどうしてもイーブンパーを目指してしまいがちな夫婦ですが、探索の時間はお互い大事にし合いたいという今日のメモ。

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