見出し画像

どうも書くものが抽象的になってしまう

どうもnoteを書くと、抽象世界の話ばかりになってしまうのが悩みなんですが、なんでなのか考えてみた。

「具体=自分の日常が面白くない」:
そんなことはなく楽しく生きているんですがそれをほかの人が読んでも楽しいと感じるかはわからないなあ…という一抹の不安は常にある。でもこの論理だと、「自分が頭で考えていることには自信がある」ということになるみたいで、それはそれで不遜である。まあ、頭のほうが面白いかどうかは置いておいて、何をどう考えて書いても嘘にはならないという無制限の自由があるのは気が楽だし、事実確認をせずに済む割合が多いのもいい。と言っているうちにnoteが抽象的になる。

「仕事上、具体が書きにくい」:
当たり前ですが、比較的面白いことに恵まれた仕事をしているし、正直仕事とプライベートの境目がとてもあいまいな領域に身を置いていると思う。仕事の出来事がプライベートの活動になり、その逆もしかり。なので、どこに行って何を見て何を感じたのか、みたいなことがそのまま、あんまよそでいうもんじゃないぞみたいなところはある。ただまあこれは、銀行員の皆様なんかもっと書けないことばかりなわけで、結局、純然たるプライベートで具体的な何かが起こせてないだけかもしれない。仕事で具体世界とどっぷり向き合うって、そうじゃない時間で「あれって本質は何なんだろう」と抽象的に考える、みたいな往復になっている気もする。と言っているうちにnoteが抽象的になる。

「抽象的なことを考えるのが好き」:
結局、これに尽きるよなあw 毎日noteを更新するのは大変なことだねこれは。

サポートありがとうございます! 今後の記事への要望や「こんなの書いて!」などあればコメント欄で教えていただけると幸いです!