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5年手帳を完走したら、「思い通り」ってなんなのか、ちょっと分かった2022年末。

今年ももう瀬でございまして、このギリギリ淵に立ってあちら側とこちら側が両方見える曖昧な感じは、嫌いじゃないこの時期。

2017年末に軽い気持ちで買ってみた「ほぼ日5年手帳」をほぼ完走まで続けてきた。我ながらこれは驚きで、まあどうせ続かないか、「続けることが目的化」して感情ゼロで一言だけ書き続けるか。どちらかだろうと思っていた身としては、こんなに自分にとって、良いマインドフルネス習慣になったのは嬉しい誤算です。この手帳、というか実質は日記なのですが、同じ日付が同じページに縦に段積みにレイアウトされていて、例えば「12/28」の記録が5年分振り返れるようになっている。今年もなんとか仕事納めしたので、「5年分の365日+閏1日」を読み返してみた。

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一言で言えば「創造と忍耐の5年間」で。この5年で結婚も出産も育児も仕事環境の変化も、まとめて迎え入れていて、我ながら、よくぞなんとかやりおおせたなあと感じた。「創」とは傷つけるという意味でして、解像度を上げていうなら「壊して、作り替えて、馴染むまで耐える」、そんな5年間。さらにコロナがかけ合わさって、5年前の今日、どんな見通しで年末を迎えていたか。跡形もなく変わってしまったように感じる。

そんな中でも2022年今年。ロタにコロナに寝ゲロに深夜3時の日大病院搬送に、本当に息子氏とそれに呼応する形で引き起こされる自分の、断続的体調不良の1年で。しっかりコロナについては後遺症でどうもだるさが取れずに脳と体の切れ味が戻らない後半数ヶ月も相まって、今思うと結構、瀬戸際で耐えていた。時間の使い方はもちろん、体調や思考までも、思い通りにならない日々を、まさに耐える。しんどかったけど、耐え抜いたことで今は、それ以前とは少し違う次元に入れた気もする。

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そもそも、「思い通り」ってなんなのか。一人暮らしで気ままに自分の24時間を好き勝手使えていたあの頃はじゃあ、「思い通り」だったのか。物理的・実態的に「思い通りな自由」を持っていたとしても、精神が何かにとらわれて、たとえばジムに行ってビジネス書読んでトイレでもポッドキャスト聞いて… みたいな生活は、怠惰恐怖に追われている訳で、それは「本当の思い通りなのかしら」と。本質的な思い通りとは、時間や資源を自由に使えること以上に、「どんな過ごし方を余儀なくされたとしても、ありのままの自由な心を肯定できるか」という精神のありようの話なんだろうなあと今は思うのです。まさに「夜と霧」で描かれていたあれを、熱の息子を腹にのせながら自分も喉痛い中、暗闇の寝室で天井を見ていた時に感じたんです。

嫌だったらやめられるとか、他の人にごめんなさいすればどうにかなるとか、そういうのではなく。どんなに自分が体調悪くても、「今日は無理」がどうしてもできない時を経て、「受け入れるしかない」と思えた瞬間、なんというか、すごい気分が楽になって、楽しくなって。「やべーつらいーーやるしかないーーなんか楽しくなってきた」的な、ようやくそこにきて、思い通りの本質に気づいたことが今年はあった。

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そういう意味では、人生の有限性みたいなことを何度か考えた5年でもあって。人がよく死んだし、自分も一度入院したし、なんでもかんでも無限の時間と可能性が広がっていて、「自分は死なない」みたいな感覚は、かなりなくなった。若い時は「体力と時間」、今は「まあまあの体力とまあまあの財力」、老いたら「まあまあの時間と、そこそこの財力(希望)」と、全てが揃う時は一度もこないし、持ち札それぞれだって有限で。結局は何を「今世では一回、諦めるか」なんだなあと。お酒を嗜むとか、エクセルとか、何かの熱狂的ファンになるとか、その辺りは僕という器と相性が悪いので諦めようと今は思っているのだけど、それはそこそこ長く生きてきて、かつこの5年の激変の中で篩にかけられた結果、そう思えているのだと感じる。

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バイブル漫画の一つが「バガボンド」なのですが、連載当時全然わからなかったある言葉を最近思い出す。

お前の生きる道は、これまでもこれから先も、天によって完璧に決まっていて、それが故に、完全に自由だ。

バガボンド 29巻

息子が生まれた直後に母が、「守っていると思うかもしれないけど、守られているのはこっちだといずれ気づく」という趣旨のことを「みてね」にコメントしていて。一人で生きていた時は、要するに今より遥かに迷っていたしフラフラしていて、それが故に不安で、精神がとらわれて自由じゃなかった。この5年間を経て、今はより大きなものに導かれているというか、こうならざるを得ずにこうなっている感覚が毎日毎日あって。それは見方を変えれば、きっと一人では決断できなかったことに腹をくくれるようになっているとも思う。「思い通り」の敵は、選べなくなることによる不自由だけでなく、むしろそれ以上に『選べすぎると錯覚するがゆえの不安による精神の不自由』であって、それが自分の枷になっていたんだなと。

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今、できることやれることを、まずやる。もしその中に「やりたい」とより強く思えるものがあるなら、ちょっとそれを優先してあげる。「そこそこやりたい」ことに逸れたり逃げたりせずに。そんな感じで、「耐えた先の新しい自由」を、次の5年は満喫したいと思います。「今」の連続を、5年手帳にまた書き残していこう。

5年間を支えた自分の「モチベーションの源」は、自分のためにメモしておきます。もし何か僕に「お礼が必要」「励ましたい」みたいな境遇になることがあったら、是非是非参考にしていただけると双方HAPPYなのでよろしくお願いいたします笑

モチベーションの源リスト100:

世界観の素敵なホテル、京都、お濃茶、ほぼ日5年日記、Y-3、COTENラジオ、土屋鞄、虎屋、蔦屋書店、ヘルシンキの雰囲気、日本茶、混んでないサウナ、ラベンダーとベルガモットとマンダリンの香り、空いている映画館、モレスキンとLAMYの万年筆、一人旅、グリーン車で過ごす時間、ピクサー作品、座王、星野源のオールナイトニッポン、TENTのアイテム、ロイヤルホスト、横浜、子供と二人帰省、5月と10月の夜の散歩、高級レストランにランチで行く、家のベランダ、エースホテル京都、ガーデンテラス紀尾井町のお庭、メゾンキツネ、ブルックスブラザースのノンアイロンシャツ、家族で回転寿司、火を見る時間、トートバッグ収集、朝ご飯にお金使う、マツコデラックスの出ているTV、派手靴下、旅先の町の動物園、TAMAKIのピザ、下北沢B&B、バイタミックスで朝スムージー、鰻重、佐藤雅彦さん、ルイボスティー、水族館、水辺の緑地と両生類、柚子、つぶあん、鉄板焼きと和牛、柴犬、ブルータス、役者さんと演技論、雑誌サーフィン、エッセイを読む時間、ルルレモン、邪宗門、肉がたくさん入っている鴨南蛮、ジオラマとかミニチュアとか、タルト、ローズとかウーリッツァーがいけてる曲、ミュージアムショップ、薬味全般、長野県富士見町、いいコンセプト、よくできた言語化、大きな海洋哺乳類、インド風でも欧風でもなんでもカレー、ノンアルコールドリンクにお金かけること、キレイなトイレ、文化人類学、穴子天ぷら、ヘッドスパ、家族で旅行、映画見終わった後に食べる紅鹿舎のピザトースト、粉とバターだけのお菓子、空港の雰囲気、一人で過ごす夜、実家のすき焼き、サシ飲み、読みきれないのに本を買うこと、たまに家電屋をうろつく時間、千鳥ヶ淵の雰囲気、いい話を聞けたインタビュー、薄暗い禁煙の喫茶店、井上雄彦作品、自然の中で生き物を探す時間、息子を笑かすこと、良い月が見える日、人間心理の仮説化、岡本太郎、プロフェッショナルに迫るドキュメンタリー全般、夜の露天風呂、物事や概念の歴史を調べる時間、LAUBURUのスープドポアソン、松本大洋作品、TDR、考えたことを言いたい放題聞いてもらえる時間、出張先や旅行先の土地の歴史を調べる時間、いい態度で人の相談を傾聴できた時、音楽聴きながらランニングする時間

ほぼ日5年手帳 2018~2022

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