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好奇心に振り回される夜の映画選びと2歳児との遠出

残り少ない大事なものこそ、馬鹿みたいな使い方をできる人に、言葉にしづらい羨望がある自分です。

ほんのちょっと、子供がすんなり寝てくれて余裕がある夜に、そうだ映画を見ようと思って、Disney +やらアマプラやらを見渡して映画を探す。なかなかしっくりくる作品が見つからない。精巧な作りのサスペンスは集中しないといけないから疲れそうだし、叙事詩的なドラマも胸焼けしそう。かといって気楽に見れる邦画にいくには貴重な時間の使い方としてなんだかもったいない気がする。そんなこんなしているうちに15分。なけなしの時間の使い方を悩むことになけなしの時間を使っているというジレンマ。

その点、2歳半の息子氏はジレンマなんぞぶち破ってくる。良かれと思って、ディズニーランドに行ったりアンパンマンミュージアムに行ったりちょっと遠出して大きな公園に行ったり、彼の存在を口実に自分も色々と行ってみたかったところにいくわけだけど、からぶる時は思いっきりからぶる。ついて数分で「おうちかえる」と言い出して施設の出口に逆走し出したり、目玉の遊具に対して「こわい、ややない」といって拒否してきたり。いくら親が事前に調べようが道具を準備してようが移動だけで1時間かけようが、その瞬間瞬間の純粋な好奇心でリアクションをしてくる。そこに、やれもったいないだのなけなしだなど、そんな感情はない。その、人を振り回そうがそこまで時間がかかってようが関係なく判断できてしまうまじりっ気のなさに、たまにうんざりしつつも基本的には羨ましいといつも思う。

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大事に思うが故に慎重になりすぎて、存分にその価値を発揮できなくなるという構造は、人生にはたくさん横たわっていて。「貧すれば鈍する」とはよくいったもので、何事もなけなしになると判断力が鈍って、最も平等で貴重な「時間」がその間にもすり減っていく。負けがこんだカジノで残りの金をフルベットして大勝負する運の悪い主人公を見るたびに頭悪いなあと思ってきたけど、あの姿勢は実は理にかなっているのかもしれないとすら思う。世の中はどんどん、情報が増えて他者の経験知が飛び交って、「正解っぽい何か」を見つけやすいのだけど、それが故に外したくない、間違えたくないという感情が加速していって。ふと夜に時間が空いて何をしてもいい、何をみてもいいとされた時にどうしたらいいかわからなくなる。正解探しをし続けた結果、正解っぽいものばかり選んできた自分に飽きていて、逸脱したいけど逸脱の仕方を忘れている。ただなんのことはない、息子氏をみていると正解も逸脱もなくて、今この瞬間の好奇心を大事に、後先のしがらみをぶった切って行動する。勇気とか思いきりみたいな格好のいいものではなくて、「あんまり考えてない」というのが正体かもしれないけども、そんな「考えてなさ」を手に入れるのって、考え始めちゃっった人にとっては一番難しいのかも。

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選べないまま20分溶かそうかという時に、ドライブマイカーを発見して、ああもうこれはこれだわと決められました。難点は、3時間モノだったということ。翌日寝不足でパフォーマンス下がりましたけど、それでも23時から3時間の映画を見ようという決断をできた自分の好奇心に拍手。初速を上げて行きたい今年も終盤な11月のメモ。

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