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相槌がベストアンサーということもある。

自分と、他者の苦しみの、関係性のお話。

入院話の続き。2週間近く、ベッドから動けない生活で思い知ったことの一つは、看護師という仕事の尊さ。偏屈な爺さんに絡まれてもにこやかにいなし、夜中に寝たきりの人のうんこオムツを全身防護服で二人掛かりで換え、時には日勤、時には夜勤と不規則な仕事の中でプライベートもこなし、エロジジイに最近彼氏とはどうなんだとアウトなことを聞かれても受け流し。患者の日々の命を預かっているのは、3日に一遍くらい回診にくるお医者さんではなくこの人たちなわけで、これはもう人を扱う「人間業」の最高峰じゃないかと思い知ったわけです。自分が将来、今際の際に近づくにあたってまず間違いなくお世話になるこの仕事が少しでも真っ当に評価され、働きやすく、希望に溢れる存在である未来をベッドの上で願っておりました。

一方で2週間、いろんな看護師さんと接する中で、冷静にそれを観察する性格の悪い自分もいたのも事実。観察の結果、看護師さんにも大きく2タイプいるなあと気づいたわけです。

僕の病気は前述の通り、原因不明で投薬のしようがない、解熱剤でだまくらかしながらただただ時間が経つのを待つという、退屈で進展が見えず、それがゆえにメンタルをやられるタイプのものでした。そういう時に、たとえば定時の検温と血中酸素濃度(Apple Watch 6で話題のあれ)を測りに来てくれた時に、弱音の一つや二つ、こちらは長い時間誰とも話してないので、吐きたくなるじゃないですか。その時に、問題解決思考の看護師さんと、そうじゃない人がいたんですね。

前者の人とは、

「いやあ、熱、いつ下がるんですかね」
『私は看護師なんで、なんとも言えないですね』
「あ、まあ、そうですよね。ただ、しんどいなあって思って」
『先生の指示通りの投薬と処置をしてるので、これ以上は・・・』
「あ、いや、今の方針に異論があるとかじゃないですよ」
『あ、そうですか… (無言)』

的な感じになる。何も間違ってないし、なんか答えのない絡みしてすいませんでした、って感じが僕の読後感として残るパターンです。で、後者の人とは、

「いやあ、熱、いつ下がるんですかね」
『先が見えないと、本当につらいですよねえ』
「そうなんですよ、これ、なんの病気なんだろうって」
『確かにまだわかってませんが、おそらく悪いものじゃないと思いますよ』
「そうですか、じゃあ、今は耐えるしかないですね」
『おつらいと思いますが、何かあったらまたナースコール押してください』

こんな感じになる。病気そのものに打った手としてはどちらの方も同じ、「何もできない」なわけですが、どっちが僕にとって助けになったのかで言えば、もちろん後者です。

冒頭、こってりと看護師という職業の尊さについて書いた通り、僕は前者のタイプの看護師さんを恨んでるわけでも、クレーム入れたさでnote書いてるわけでもなくて、あまりにも大きな気づきで自分自身の行いを振り返るのに十分すぎることだったので、何もすることのない病床でひたすら反芻したんです。

僕は問題解決思考が強い人間で。同情や共感では物事が進まないとか、よく言われる「女性の悩み相談は聞いて欲しいだけ」理論の回りくどさに、そんなん絶対違うと思ってました。ただね、自分自身が『問題解決思考で来られても問題解決されない状態』になって打ちひしがれている時に、問題解決思考でコミュニケーション取られると、めっちゃ追い詰められるというか、弱気になってる自分が「なに意味のない思考してんねん」って言われているような感じの会話になって、すごいつらいということを思い知った。世の中には残念ながら、少なくともその時点においてどうしようもないことってあって、その時の問題解決思考の限界って案外、すごく浅いところに横たわってる。最大の苦しみはその問題自体以上に、問題を分かち合える人がいないことで感じる孤独で、共感は唯一その孤独に効くアプローチなんだって、やっと気づいたんです、35年生きてきてやっと。

ただそこにその苦しみがあることに寄り添って、共感して、その感情を認めてあげること。その苦しさを感じているあなたは弱くもないし、おかしくもないよと、伝えること。コーチングでも教わったし、コミュニケーションやカウンセリングでよくよく言われることだけど、我が身を通じて体験しないとわからなかった。

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松井秀喜がヤンキース時代にスライディングキャッチをミスって手首を折った時に、記者から囲み取材で聞かれた「手首のことは気になりますか?」という問いに対して、『そうですね、気にして早く治るなら気にしますけどね』とジョークっぽく返したのが僕にとってはものすごい大きな学びがあって、「気にしてもしょうがないことを気にすんな」っていうのは結構大事にしてきた。だけどこれは「自分が自分の悩みに対して取るべきスタンス」の話であって、それを孤独で恐怖を増長させてる他者に対して発動させては、いけないんだってこともわかってなかったわけです。

僕によって絶望させられたこれまで弱みを打ち明けてくれた全ての人に全力で謝りたい気分になって、メンタル弱っておセンチになっていた僕は病床でリアルに泣いた。ああなんと狭量で想像力にない人間だったんだろうかと。そしてその狭量さは、真の意味での問題解決を追求しない言い訳にもなって、したり顔で「いや、これどうしよもないから」的な、一番突き放した態度にもなりかねない。

「自分と、他者の苦しみの関係性」を、問題解決できるか否かだけで見ることの浅はかさに、看護師さんに日々日々お世話になる中で気づけたのが、またしても此度の入院の収穫でございました。ただ寄り添うことが、孤独から人を救うこともある。何事も、これまでの人生で通ってこなかった時間からは、大量の経験値が入るね。

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