一言主

「一言でいうと」の功罪

我が家は毎年正月に、茨城県は常陸の国の一言主神社まで初詣るわけですが、そこは文字通り願いを「一言の願いもおろそかにせず叶えてくれる」というありがたーい神様なのですが、個人的には『どんな願いも一言だけなら叶えてくれる』のほうが信憑性がある解釈なので勝手にそっちで思ってます。

よくほら、仕事をしてるとなんでも「シンプル」「短く」「分かりやすい」が是とされ、その究極として『一言でいうと』っていう指示要請が起こりやすい。そしてそれは大半は正しいんだけど、一方で、「複雑なもの一つひとつの要素をそぎ落とすことなく大事にし、それでいて複雑さを感じさせずに理解させる」技術も、一言化と同じかそれ以上にエクセレントだと思う。『一言でいう』ことを要請することによって、何かとても重要な削いではいけないことを削がざるを得ない事象が世の中にはあって、「それは、一言化できないそいつの能力が低い」なんてのは乱暴な話だと思うわけです。

だからなるべく、「分かりやすく言って」っていうようにしてます。一言でいうかどうかは手段であって、目的は、理性と感性の両方で意味を受け止めることだと思うので。


なんて、言うは易し。
神様の言うとおり、「一言だけ」しか言えないとしてありがたさを忘れずに、丁寧にコトバを扱いたいものです。企画書を書きながら。


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