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いまさらヘビメタを、聞いてみようと思えるか。

走るときには、だいたい何かを聴いている。いろいろ立て込んでいて脳がイーー!ってなってるときは聴かないけど。聴いているときは、前はAudibleでビジネス書を聞き流していただけど、別のことにアタマを使いながらカラダを動かすのは、なんだからカラダに失礼な気がしたので最近はやめて、音楽に戻ってきた。

Spotifyのデータを分析したら、人は平均して33歳で、それまで聞いたことのない新しい音楽への探求をやめて、自分にとっての「懐メロ」に閉じこもって出てこなくなるらしい。「音楽的無気力」という言葉までご丁寧にあると。そして33歳ってちょうどほぼ今の自分の年齢。これは音楽に限らず、あらゆる「新しいこと」への好奇心の話な気がする。いや、厳密には、完全に新しいこと、例えば定年退職してからゲートボールとか和服に目覚める、みたいなことはあるわけで、そういう”新しさ”ではなくて音楽のように「それ以前からずっと慣れ親しんでいたことに対して、新しい関係性を模索する」ということをしなくなるということかもしれない。

「完全によく知っている」と「完全に新しい」のはざま。『よく知っていることと、新しい側面でかかわる』のは、実は一番、億劫で、なぜなら「間違えのないかかわり方」を知ってしまっているからですよね。絶対に間違えなく生姜焼きがおいしいと決まっている通い詰めた定食屋で、別のメニュー、頼んでみようとおもえますかって話と同じ。人はいつだって「失敗したくない」。そしてその感情がマックスになるのは「失敗するかもしれない不確実性が高いとき」ではなく、「不確実性の高いオプションと、絶対に大丈夫なオプションがどちらも選択しうるときに、それでも前者をとれるのかっていうとき」なんだろう。

って、まあ、音楽なんてどうあれ死にはしないんだけど、でも気分と直結しているものだから、間違えたくないんだよねきっと。そんなことを悶々と「大好きな大橋トリオのシャッフル再生で、ランニングとテンポが全く合わない、ピアノバラードが流れたとき」に考えた。また、その曲がふさわしいときに、聞けばいいのさ。

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