ピーター

「考える」のが嫌い

中学生の時、数学の夏休みの宿題で「数学にまつわる本を一冊読んでこい」というものが出た。数学っていったら文字の世界ではなく数字の世界だと思っていた当時の自分を振り返ると、そこであえて文字の世界からの視座を与えようっていう宿題のセンスもイケてると思うけど、そのときたまたま選んだ、数学者/大道芸人のピーター・フランクルの本(もはやタイトルも思い出せない…)の中に、いまだにたまに思い出すことが書いてあって。

確か中学生からのQ&Aみたいな部分で。

Q:数学者の皆さんは、やっぱり数字や計算が好きなんですか?僕は数字も計算も嫌いなので、どうしても点数があがらなくて、どうしたらいいか分かりません。

A:僕は計算が大嫌いです。僕だけじゃなくて、数学者に計算が嫌いな人は多いです。数学者は、計算が好きでたくさんたくさん計算をしたい人だって思うかもしれませんが、すごいなあと思う数学者はみんな、

「計算をたくさんしたい」のではなくて、
「いかに計算の量を少なく済ますか」を考えるのが上手です

公式を考えたり、定理を作ったりするには、手当たり次第たくさん計算をしていてもいくら経っても思いつかない。どうやって、一番の近道で、きれいに、最少の手数で解くのか。そういう考え方をする。だから、みんな計算は嫌いだし、「どうやって計算しないで済ますか」ばっかり考えてるよ笑

と、確かこんな内容のことで。
偏見や先入観で気づかないけど、その物事の本質は、その偏見とは反対方向に延びていたりする。自分は本質的には「どうなるために、なにを考えるべきか」。”考え方の考え方”が一番大事なのよっていう言葉にあの時期に会えたのは大きかった。

僕もほんと、超ナマケモノで飽き性で脳スタミナがないので、一日2時間だけ超集中して、その時間で、ほかの時間の自分が「いかに考えなくていいか」を設計して生きていきたい、そんな不器用な人間のメモ。

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