エネルギーの交換を愉しむ
すりおろしりんご
先日の朝、目を覚ますと、(あー、これはまずいな)となった。
体が重くて、気持ち悪い…
けれど、ヨガのレッスンは休めないし、休みたくない。
なんとか普段通りの朝時間を過ごしていたけれど、今日はやっぱり無理かもしれない(涙)
そんなタイミングで起きてきた長女が、
「私が朝ごはん作るから、ママ、できるまでもう少し寝てていいよ。」
と言ってくれた。
なんて優しいんだろう。
ありがたく休ませてもらい、朝ごはんができて起きてくると、私の分のりんごをすりおろしてくれていた。
私は娘に『すりおろしりんご』作ってあげたことあったかな?
あるかもしれないけれど、記憶にない。
けれど、娘の中で、体調が悪いときはすりおろしりんごがいいだろうと思って作ってくれたのだと思う。
そんな優しさを感じる朝ごはんは格別で、すりおろしりんごがとても美味しく、終始(ありがたいなー)と思いながらいただいた。
体調が良くなったわけではなかったけれど、食事が終わる頃には
(今日は頑張れるかもしれない!頑張れそう!)
と思っていた。
エネルギーの交換
そんなやり取りの中で、やっぱり人と人とはエネルギーの交換をしているんだな、と感じた。
人と人だけでなく、植物や動物、物からもエネルギーはもらっているし、こちらから与えられているかもしれない。
植物同士でもそうだし、ありとあらゆるものがエネルギーの交換をしているのだと思う。
「元気に育ってね」と言いながら植物を育てるとき、その植物はきっと喜んでいるし、元気に育つ姿にこちらも元気をもらっているはず。
人は酸素を吸って二酸化炭素を吐き出すけれど、植物は光合成で逆のことをしてくれている、という大きな循環もある。
この人に会うとパワーをもらえるな、と感じることもあれば、あの人に会うと、何だか吸い取られた気がする、と感じることもあるだろう。
与えたら減るのか?
長女は、私に優しさを与えたことで、自分の中のエネルギーは減ってしまったのだろうか?
本来は、ぼんやりと好きに過ごせた時間に、自分の労力を使ったのだから、多少のエネルギーは減っているはず。
けれど、「朝ごはん食べられないかも」と言っていた私が、
「うわー、ありがとう!美味しそう!」と言って食べ始めたのを見て、とても嬉しそうにしてくれていた。
そんなとき、娘の中のエネルギーも増えているのではないかと思った。
ギバーになりたい
世の中にはギバー(人に惜しみなく与える人)、テイカー(自分の利益を優先させる人)、マッチャー(損得のバランスを考える人)という3タイプがいるそう。
私はどうだろう?
時と場合により、どれも当てはまりそうな気がする。
会った後、どっと疲れるときは、きっとテイカータイプの人と会ったとき。
逆に、お得な情報を見て、特をしよう!と考えるとき、本来の価値以下の支払いをしようとするテイカーな自分がいると思う。
ギバーの人に会うと、心が満たされるだけでなく、相手への信頼感も増す。私も何かお返しできることはないだろうか?と思うところは、マッチャーが働いているのかもしれない。
『見返りを求めることなくギバーになりたい』
けれど、例えばお金を与えることに徹したら、即お金は尽きてしまうし、きっとそれで周りを幸せにすることはできない。
それでは、何をギブすればいいのだろう?
ありきたりかもしれないが、やはり『愛』だと思う。
与えるものに愛があれば、自分も満たされ、お互いのエネルギーを高め合うことができるはず。
私は、周りの人の笑顔を見ると、心から喜びを感じる。エネルギーをもらっているのだ。いつも笑顔でご機嫌な人は、それだけで周りの人や物を満たしているギバーだと思う。
誰でもギバーになれる。
ヨガ哲学でも、人は得ることより『与えること』に幸せを感じると教わった。
何か形のあるものである必要はない。
愛を持って周りの人とエネルギーの交換を愉しんでいきたい。
私にできることは、まだまだたくさんあるなー。
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