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[日日月月]関西への小さな旅①7月28日の記録、人から望まれる仕事について

この連載は…
八燿堂の中の人、岡澤浩太郎による、思考以前の言葉の足跡です。まとまらないゆえとっちらかってますが、その過程もお楽しみいただけましたら

一日中、眠い日が、何日も続いていた。あれやこれやが積み重なって、なんだか気分転換したくなって、どこかに旅に行きたくなった。そんな話を、言ったか言ってないか、よく覚えていないが、古い友人であるkawoleさんに声をかけられて、行き先が関西に決まった(kawoleさんのことは次回)。

7月29日に神戸で仕事をすることになり(これも次回)、いい歳して弾丸ツアーは避けたいので2泊3日の行程とした。さらにこの機会に、長野に移住して以来やってみたかった、松本空港からの空便を実現した。

FDA、万歳

機内でちょっと本を読んだら、もう着いた。家から空港までのほうが遠かった……。


神戸空港への到着は7月28日の昼前。夜は翌日のリハーサルがあるというので、それまでの時間に、会っておきたい人がいた。

土田眞紀さんだ。

土田さんは、三重県立美術館の学芸員を経て、現在は近代工藝・デザイン史を専門にしていらっしゃる。八燿堂の刊行物では、『mahora』の第3号にご寄稿いただいた。

「糸車から糸車へ」と題されたエッセイは、糸車と紡績をテーマに、名もなき人の手仕事を縦糸に、それらが成り立ち、翻弄されてきた歴史を横糸に編みながら、現在へと継承していくという、土田さんの真骨頂が刻まれていた。

例えば北原白秋が、上京して詩人として生きる決意を固めた時期、近代化に飲まれ衰退する故郷の町で、かつての産業の名残りである糸車について、機微に触れた瞬間を描写する一節。

その覚悟とともに、夕闇に包まれる医館のひと気ない空間も、静かに廻り続ける糸車も、黙して糸を紡ぐ媼も、詩の韻律に融け込み、同時に永遠の「いま」に封じ込められた

土田眞紀「糸車から糸車へ」(八燿堂/『mahora』第3号所収)より

美しい。息をのむ美文。それはきっと、土田さんが日々、「美」というものに意識を働かせているからだろう。それも日常という、絶え間ない、かつ、なんてことはない営みのなかから。


当時のやり取りは電話とメールだったが、いつかお会いしたいという思いはずっとあった。この小旅行で念願が叶ってアポイントが取れた。

奈良駅で待ち合わせて、近くのカフェに入った。土田さんは、ひとつひとつ言葉を選びながら話される方だった。原稿、そのまま。だからか、不思議と緊張感はなかった。

直接会うのは初めてだったから、手探りの会話だったと思う。私からはひとつ、久々に訪れた奈良駅の印象を話した。

構内が海外の観光客ばかりだったこと。おそらく彼らが行く先は、ある程度定まったコースなのだろうこと。人が多いのはいいとしても、人の目や、それを集めるために投下される資本が、限られたものに集中して、それ以外のものが見向きもされないのは、どうなんだろうかという気がかり。

私にとって、過ぎ去っていくこと、消えていくことが、悲しいのは、それを愛しているからだ。きっと土田さんも同感だったのだろう、うなづいてくれた。


以前、土田さんがエッセイを寄稿した本をご献本いただいたことを、ふと思い出した。奈良 木綿手紡ぎの会『手としての布 私たちのタオル』という、小さな本だ。

以下4点とも、奈良 木綿手紡ぎの会『手としての布 私たちのタオル』より

本自体がとても丁寧につくられていて、好感を持った。きっと、ここに登場するタオルと同じように、手作業の「確かさ」を信じているのだろう。共感を覚えた。

ここに収められている土田さんのエッセイは、やはり美文だった。例えば、こんな具合だ。

自分でつくらなくともすべてが手に入り、だれからも強いられることがない時代に、みずからの手で紡ぎ、織り、染めようとする人には、たとえ言葉にすることがなくてもその人にしかわからない理由や動機があるように思う。

土田眞紀「手仕事の水脈」(奈良 木綿手紡ぎの会/『手としての布 私たちのタオル』所収)より


「最近はお忙しいですか?」と、訳もない質問を投げた。「ひとつ終わったら、またひとつ……」と答えられたと思う。文章を書くという仕事が、土田さんにとってどれくらいのウェイトがあるのかわからない。けれども、そうして文章を求められるということは、疑いのない事実だろう。

「時代の役目」と言ってしまうと大袈裟かもしれないが、土田さんのお仕事が、いま、確かに必要とされていることは、私にもよくわかる。

自分が会社勤めからフリーランスになった頃のことを思い出した。金にはなるが、金にしかならなかった仕事を辞めて、フリーになることを決めた理由は、そんな会社のお付き合いとはまったく別のところから、「あなたと一緒に仕事をしたい」と言われたのが、背中を押したきっかけだった。

それはきっと、「誰かが喜ぶ仕事」とも重なる。
そしてその「誰か」には、自分も含まれるはずだ。

店を出る少し前、二度目の原稿の依頼を差し上げた。
快く引き受けてくださった。
その文章が、ひとりでも多くの喜びにつながるように、私は本を編む。


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