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自宅待機が続くニューヨークの日常は、どこへ行ったのか

ニューヨーク州は現在、アメリカ国内で、新型コロナウイルス (COVID-19) による被害が最も大きい。人口860万人のニューヨーク市の感染者数の累計は8万人を超え、最新の記者会見では、1日だけで799人が亡くなった、とクオモNY州知事が発表していた(4月9日木曜現在)。

被害の全貌はニュースを見ていただくとして、わたしはニューヨーク市で暮らすひとりとして、この目から見える、日常の様子を書いてみようと思う。

同じ日に、見知らぬ人が放った、全く予期してなかった2つの言葉について。

なお、屋内待機令が出ている中、たまたま外出した時に、たまたま住んでいるエリアで、たまたま起こったことなので、あくまでニューヨークの日常の一部だ、と思って読んでいただけたらとても嬉しい。

ある60代女性の言葉

天気の良い週末、パートナーと一緒に買い出しに出た。8日ぶりに屋外を歩くのはとても気持ちが良く、手足の血行がじわじわと良くなり、酸素が体に染み渡っていくのを感じる。マスクを通していても、空気が美味しい。

せっかくなので公園を通って行くことに。その途中にあった桜が美しく咲いていたので、その前でパシャリと写真を撮った。

すると突然、静かな住宅街に、大きな声が響いた。

「ふざけるな!」

見上げると、向かいの家の窓に、ストリートを見下ろしていたらしい、60代くらいの女性がいた。

「みて!ほら!若い人らが遊んでる、信じられない!」

何が起こったのかを理解するのに少し時間がかかった。思わぬ方向からぶつけられた大声に、体が硬ばる。私たちが唖然としてその場に立ち尽くしている間、彼女は何度も強い言葉を叫び続けた。

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ニューヨーク市では、日常が非日常に侵食されていく様子が、日を追うごとに可視化するようになった。

海軍病院船が港に到着し、大型イベント会場が臨時病棟へと変貌し、マンハッタンのセントラルパークには仮設病棟テントが出現した。たくさんの日本国籍の知人や友人が日本へ帰った。失業率が悪化し、もはや仕事に悪い影響が出ていない人を探す方が難しい。ご近所さんや友人から、テスト結果の陽性報告を聞くことは珍しくなくなった。

そんな中、連日のクオモNY州知事の会見や、ニュース番組では、社会的距離 (Social Distancing / ソーシャル・ディスタンシング) のルール (*1) を守らず、医療関係者や周りの住民たちを危険にさらす悪い例として、公園にたむろしたり、数人でフリスビーをしたりする一部の若い人たちが挙げられている。#boomerremover(*2)というSNS上のハッシュタグが、一部の若い人たちの間で流行るという恐ろしい現象も起こっている。

(*1) 人と人との間の物理的な距離を保つことで、人口密度を減らし、伝染病の感染拡大を防ぐための戦略。アメリカは6フィート (約1.8m) 以上の間隔を空けるように呼びかけている。
(*2) 直訳は"「ベビーブーマー」世代 (55-75歳) を取り除く者"。高齢の患者の方が重症化しやすく死亡率も高い、逆に若い患者は無症状または軽症の割合が多い、と言われていたことから、ベビーブーマー世代に新型コロナウイルスを感染させて取り除く(リムーブ)という意味。

私たちが隔離生活をおくるエリアの平均年齢は30歳。比較的、若い。近所の公園の「ルールを守らない若い人たち」の映像や写真を、ニュースの中で見たのは一度じゃない。

同居人以外の人と6フィートの距離を保つことを条件に、ジョギングなどの運動や散歩は、買い出しと同様に “必要不可欠な外出” として許可されている。しかし、私たちを非難した彼女のような高齢の人や、持病持ちの人は、一部の若い人たちに脅かされているに違いない。その事実を目の当たりにし、胸が詰まる思いがした。同時に、まさに彼女のような人を守れる、と信じて自主隔離生活に努めていた私たちは、大いにがっかりした。

公園を通るのはやめよう。買い出しだけ済ませて帰ろう。

スーパーマーケットへ向かう道。いつもは人懐っこいニューヨーカーたちが、あからさまにお互いを避けて歩いている。人と人との間に、目に見えない壁があるみたいだ。ほとんどの店が閉まったストリートは驚くほどガランとしており、防犯のためのベニヤ板をガラス窓に貼り付けているところもある。マスクやビニール手袋を脱ぎ散らかしたゴミが散乱している。

空回りする正義感の味を確かめながら、悶々と自問を繰り返す。「若い人」を見る時の自分は、偏見に満ちていないか、と。それは、正義感と不安から私たちの散歩の楽しみを奪った女性が持っていたのと、同じ種類のものではなかったか。

今は、自分ができることをするしかない。

ある20代男性の言葉

誰とも目を合わせないように下を見つめながら、スーパーマーケットに辿り着いた。

お店の外には、間隔をあけて、8人くらいが列を作っていた。みんな、色とりどりのマスクやバンダナで顔を覆っていた。歪んだバンダナは、耳がひっかかってちょっと痛そうだな、と思った。

一番後ろに間隔をあけて並んだ。スマホを使いたいけど、手袋が邪魔だ。

しばらくすると、一人の女性が列の先頭に現れた。「ミルクを1本買うだけだから、中に入れてちょうだいよ。」と、入り口で尋ねていた。

透明なフェイスシールドを被った門番係のお兄さんは、「ごめんね、並ばなきゃダメだよ」と断った。残念そうにこちらに歩いてきた彼女は、私の2つ後ろに並んだ。80代くらいの白髪の女性で、バッグやカートも持たず、本当にたまたまミルクがないから近所から出てきただけ、という感じの出で立ちだ。

「どうぞ。」

突然の声に後ろを振り向くと、オレンジのペイズリー柄のバンダナを顔に巻いて、最後尾に立っていた20代半ばのお洒落な男性が、この女性を自分の前に入れてあげていた。それにつられて、私も彼女を前に送った。「どうぞ。」

するとどうだろう、何十分も前からずっと並んでいた前列の人たちが、「どうぞ」、「どうぞ」、と次々と彼女を前に送ってあげているではないか。あれよあれよと言う間にその女性は最前列につき、そのまま店内に入ることができた。

門番係のお兄さんは、こちらに向けて「ありがとう!」とお礼を言い、店内の安全を守るための手袋を、列に並んでいた全員に2枚ずつ渡してくれた。フェイスシールドの中に見えたお兄さんの顔は、笑っていた。

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毎日たくさんの人が亡くなり、感染者と失業者が激増し、不安と恐怖が蔓延し、社会的距離戦略の徹底が進んだ今、私たちが知っているニューヨークの姿は影を潜めている。

でも、いるのだ。

不恰好なバンダナマスクの下、ビニール手袋の下には、人懐っこく、頑固で、弱い立場の人たちをほっておかない優しさを持った、大好きなあのニューヨーカーたちが、確かにいるのだ。

バスで偶然出会った見知らぬ人と、うっかり人生の機微を語り合ってしまうような、この街のいつも通りの光景に出会える日が、またきっと返ってくるのだ。

非常事態が収束し、この見えない壁が取り払われた後には、どんな日常が待っているだろうか。そう思うと、帰り道は下ではなく、前を見つめて歩こうと思った。

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↑もともとしていた手袋に、スーパーのお兄さんにもらったビニール手袋を重ねたので、二重になりました。スマホは帰って消毒しました。

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