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他人の身体に"成る"という体験

私が最近関わった作品に
「しん・街スケッチ」と「リモート温泉」
というものがある。

「しん・街スケッチ」は、武蔵小金井に住み暮らす人々とともに創作した"体感型パフォーマンス"である。
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参加者それぞれが共通のルートを歩き、その街の環境を記録する。さらには、その時の"身体の状況"を言葉に起こし、他人と共有することを試みる。
「リモート温泉」は、その名の通り、いつでもどこでも温泉に浸かっている身体に"成れる"作品である。
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どちらも、他人の身体を音声を通して自分に移すことを目的としており、"おどり"になる少し前の"からだ"を楽しむ作品である。

「しん・街スケッチ」で"からだ譜"をそれぞれの参加者(ダンサーでない人も含む)に書いてもらうのは、私にとってはチャレンジだった。
私はこれまで"作品譜"(と勝手に呼んでいる)で、同じような作業を繰り返してきたが、書いている最中はとにかくしんどい。
自分の身体感覚にひたすら感覚を研ぎ澄ませて、頭で考えていることを捨て去って、削ぎ落としていく。おそらく、身体や感覚を野生動物に戻す作業だと思う。

(余談だけど、とにかく何もしたくない、寝ていたい、本能に忠実な日のことを私は"野生動物の日"と呼んでいる)


"からだ譜"を書いていく中で、大きな発見があった。「しん・街スケッチ」の参加者の中に、小さなお子さんと一緒に参加してくれた女性がいた。試しにその人の"からだ譜"を私が書こうとした時、自分の身体とのあまりの違いに衝撃を受けた。

お母さんは赤ちゃんを守るために、とにかく外に意識が向く

ベイビーシアターを上演している身として、このことは知識としては聞いたことがあったし、当然そうだろうと納得していた。ところが、実際自分の身体感覚に落とし込んでみた時、つまりそれを"体感"した時、それはあまりにも違いがあった。正確に言うと全く同じものを体感したわけではないが、頭で想像しているよりは近かったと思う。

それと同時に、私自身の東日本大震災の記憶を思い出した。

3.11の当時、私は高校生だった。当時復興公演などにも参加したのだが、恥ずかしながら、全く自分とは別世界のように感じていた。もちろん当時の私なりに想いは馳せていたけれど、全く足りていなかったように思う。

それが強烈な実感を伴ったのは、2018年、福島を訪れた時のことだった。それまでも毎年喜多方にいく機会があり、福島に足を運んではいた。そこでなんとなく感じてはいたけれど、これも恥ずかしながら、実感は伴っていなかった。

その日は公演をするために、日も暮れた真っ暗な中、高速道路を走っていた。
よくわからない場所で高速道路を下ろされてしまい(ナビに従ったのに)、真っ暗な道の公道を引き返すことになった。車の中にいてもわかるくらい周囲は静かで、対向車もいない。段々と不安が増して口数も減ってきた中、とにかくナビに頼るしかない。ナビに言われた通り、左折しようとした。

その瞬間、真っ暗な中に突然、「立入禁止区域」の看板が現れた。

あの瞬間の衝撃は忘れないと思う。鮮明に覚えているけれど、まだ言語化することができない。当時震災から7年経っていたけれど、未だに立ち入ることができない場所がある。帰ることができない人がいる。曲がれど曲がれど続く、立ち入り禁止の看板。

当然、私自身もニュースでそのことは知識として知っていた。けれども、私が自分自身の感覚や身体を使ってようやく"体感"したのはその時だった。それと同時に、私のこの"体感"も、実際に体験した人の感覚には程遠いのだろう、ということも痛感した。(これも余談だけど、その2日後に観た東京演劇アンサンブル「はらっぱのおはなし」の最後のシーンで号泣した。あの瞬間号泣していたのは私だけだったと思う(笑)。観劇体験についても新しい発見だったのだけど、これはまた今度)


"知っていること"と"知らないこと"の壁は大きい。
私が卒業公演で題材として選んだ「かいだんのうえのこども」(谷川俊太郎)の詩にもあるけれど、知らないことを体感するのは不可能に近い。だからこそ、私とあなたは違うことをしっかり認識して、それでも想いを馳せることが大切なのだと思うけれど。

かいだんのうえのこどもに
きみははなしかけることができない
なくことができるだけだ
かいだんのうえのこどもがりゆうで
(「クレーの絵本」谷川俊太郎より)


この、"からだ譜"という手法は、このことに少しだけ関わることができるのではないか。
他人の身体や感覚を自分に移すことで、理性や知識を超えたところで誰かと繋がることができるのではないか。
そんなことを考えている。
マニアックで、書く時はしんどくて、観客もものすごい集中力を要する(笑)けれども。
これまで書いた人からは、書いている最中はひたすら「しんどいです!」と言われ続けているけれど(笑)、それと同時に「ここまで身体感覚を研ぎ澄ましたのは初めてです」という感想もいただいている。

このあと、この手法がどこに向かうかはわからないけれど、じっくり育てていこうと思う。

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