見出し画像

こころに残ることば

私には今でもたまに思い出すことばが ふたつ ある。
それはどちらも関係の深い人からではなく、その時々でさらっと言われたことばだったのに何故か20年程経った今でも背中を押してくれる時がある。
そんなことばの凄さを最近改めて感じて、ここに書き留めようと思った。

ひとつは高校3年生の進学を決める時期にある先生からもらったことば。
当時私は家庭環境があまり良くなく何事にも楽しみを感じられずに何とか形だけ学生として生きている感じだった。
自分の中に僅かに残っていた気力で早く自立するために専門学校へ進学することを決め推薦受験を控えていたものの自信もなく、頭に残る勉強をしていなかったから落ちたら後がないような状況で。。。そんな時に放課後の音楽室で定年退職後も教師をされていたお爺さん先生(お名前を忘れてしまいました…)に声をかけられ、「受験はどうするの?」「一応推薦受験の予定なのですが…」とあまり自分の気持ちを伝えられなかった私に対して、先生は「あなたを落とす人がいたとしたら、それはその人の見る目がないだけですよ」と言ってくれたのです。
今思い返すと何かを達成したから褒められるではなく、大人からそのままの自分を認められて直接ことばで伝えてもらったのは初めての経験だったと思う。
その先生とは特別接する機会が多かった訳でもないのに見守ってくれている大人がいたことが私にとってはものすごく嬉しくて、今でも自信が無くなりそうな時にふと頭に蘇ることばだ。

もうひとつはサービス業の社会人として働き始めの頃にお客さんから言われたことば。もともとシャイな性格での接客の仕事は慣れるまではとくに大変だった。ある時先輩の常連のお客さまでとにかくスピード重視と周知されていた方を一部接客することになったのだが、私の心の緊張が伝わってしまったのか接客の途中で「他の人にかわって」と苛立たせてしまったことがあった。その後私の後輩がフォローしてくれたのだが、その時の私はそのことが余計にプライドを傷つけられてしまった。悔しさと自分の至らなさで何処かに隠れてしまいたい気分だったが、店は忙しく気持ちを切り替えて次のお客様の接客に入った。先程と同じように接客していたらそのお客様から「あなたは職人ですね」と小さな声でお褒めのことばを言われたのだ。
私は驚きと嬉しさで目を閉じたら涙がこぼれてしまうのを堪えるのに必死だったことを覚えている。

私の心に残っていることばはどちらも身近な存在の人からではなく、人生でひと時だけ接した人達からのことばであることが少し不思議な気もする。
もしかしたら私のように生まれた環境で甘えられなかった人間には社会に出てから別の形で親のような存在に恵まれる瞬間を神様はギフトしてくれているのかもしれない。。。

ここには言われて嬉しかったことばを書き留めたが、きっと反対のことばもあるだろう。けれど私は人生折り返しの年齢になり、できることなら残りの人生で出会う人達に良い意味でこころに残ることばを交わしていたいと思うようになった。
ことばにはこんなにも力があって、誰でも自由に使うことができる。
だからこそ嘘のない本心からのことばや相手へのやさしいことばを選ぶことが巡りめぐって自分のこころの平穏にかえってくるような気がしている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?