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脱力のすすめ

私はどちらかと言うと頑張っちゃうタイプの人間だ。
仕事中やお客様を迎える時、人と会う時など、分かりやすくテンション高めと言う訳ではないが、せっかくの時間を良いものにしたいと言う想いがある。
そのことは悪いことではないと思うのだが、他人から学んだり今までの経験から、人が心地良さを感じるのは自分のペースを最大限まで尊重されている瞬間なんじゃないかと思っている。

この地球に存在しているどんな人にもきっと意味があって、
例え善意でも誰かが誰かを変えようとしたり、裁くことはしてはいけないことなんじゃないかとも思う。
それよりもただただ脱力した素直さは周りをホッと緩ませる。

脱力の良さは他にもある。緊張したり準備し過ぎたりすると、それ以外のことが見えなくなるけれど、はじめからできることしかできないと腹を括っていると、視野が開かれているのでその瞬間に生まれた会話を楽しめる。
そして脱力はからだにも負担がない。。。
呼吸も深く保てるし、筋肉も縮まず、からだの自然な気血水の流れも邪魔しないでいられる。

脱力=程々にとも言えるが、これはあらゆることに当てはまると最近気づいた。
近年良く聞く「推し」も程よい距離で糧にできたら良いが、自分の人生よりもお金や時間を費やしてしまう人がいる現実もある。
世の中のビジネスも冷静に見てみると、お客さん目線に程々というよりビジネス目線のスピード感のものが多いことは心に留めていたいと思う。
いろんな考え方があると思うが、どんなジャンルでもお金や時間をかけ過ぎると本来の良さから偏りが出てきてしまう気がするのだ。

私の仕事も例外ではなく、応援してくださるお客様との距離感で大事にしていることは当たり前のことだけれど、お客様の生活が一番で私のお茶は脇役の一部であること。誰でも自分で考えて生きていける存在であることを尊重して、商品や言葉を依存させるような使いかたをしないように意識している。イメージしている理想の関係は遠くの親戚!
それぞれの生活を尊重しながら、いつもどこかで繋がっている安心感のある関係。
年を重ねる毎に脱力したままで付き合える心地よい人との繋がりを有り難く、大切にしていきたいと感じている。

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