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本を捨てる

捨てることが苦手だ。必要なくなったものでも、自分に何かしらの縁があったものをこの手で処分するということが辛くてたまらない。いっそ、無理に奪われてしまう方がマシだとさえ思う。

食器を割ってしまった時など、粉々になった破片を眺めてホッとする自分もいたりする。特に、使い古したコップや似たようなものが増えて使わなくなっていた皿は、やっとこれで捨てられる、と。

今年の春先に引っ越しをした。転居先の2LDKの家に息子の部屋を作るため、家具や本棚をいくつか処分する必要があった。そこに入りきらない本や雑誌も、選別して捨てていかなければならない。

二度と読み返すこともないだろう本や雑誌、もはや役に立たない20年前のガイドブックでさえも、捨てることをいちいち躊躇してしまう。どれも自分の血となり肉となり、思考のもとになった本たちだ。奥付を見れば、そこに作り手の思いも感じる。映画のパンフレットや歌舞伎の筋書、演劇の台本は思い出そのものだ。書籍や雑誌を捨てることは、何を捨てるより難しいことだと思う。

私の夫は今回の転居で500冊ほどの本を処分した。かつて住んでいたマンションで、別部屋を借りるぐらい大量の本を所蔵していた彼は、結婚して以来、転居するたびにその蔵書を捨ててきている。古本屋に取りにきてもらったり、送ったり。紐で縛って資源ごみに出したり。その度に、私と息子との2LDKでの生活が、彼から大切なものを奪っているような気がしてしまう。私は昔から、夫の本棚を眺めるのが大好きだったのに。

本棚から出された二人の本が床に散乱する。どの本も手放しがたく、読んでいた頃の自分に思いを馳せ、また読んでいた夫のことを思い出し、仕分けの手が止まる。その中には、二人が出会う前にそれぞれが買っていて「カブった」本もあるし、若い頃の私に夫がすすめてくれた本もある。

本は落としても割れないし、粉々にならない。
それでも私たちは、捨てていかなければならない。

「自分の脳内を捨てるようなものだな」
処分する本を縛っていた夫が、そう呟いた。


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