Pray For Munichの代わりに、あるアフガニスタンの友人について書いておきたい。

私の住むミュンヘンで銃乱射事件があった。「#PrayForMunich」とつぶやいたり、あるいは、高みから議論するかわりに、つい2日前まで移民学校で一緒に勉強をしていたとある男性のことを書いておきたい。

滞在許可延長のために通わなくてはならなかった移民学校。正式な名前は、統合クラス(Integrationskurs)のなかに含まれるオリエンテーションクラス(Orientationskurs)という。

要は「ドイツに長く暮らしたいなら、最低限のドイツ語と常識を身に付けなさいよ」として移民に義務化されているものだ。ドイツ人の妻としてミュンヘンに暮らしている私ももちろん移民のひとり。語学のクラスは別途終えていたので、残る「ドイツ社会の一般常識」を学ぶため、そのオリエンテーションクラスに行く羽目になったというわけだ。

(仕事で来ている外国人であれば必要なかったり、インターネットでの独学でもよいなど、細かなルールがあるのだが、ここではあまり重要ではないので触れないでおく)

教室への入り口は、中央駅からほど近い、雑然とした移民街の青果店の搬入口に面していた。スイカの腐ったような臭いと、男性の体臭と、排気ガスが混じりあったような臭いが鼻をつく薄暗い階段をのぼっていく。教室の壁ははがれかけて、色あせたクリスマスの包装紙で隠されている。窓を開ければ耳障りな怒鳴り声や、通りの騒音が入っている。

そんな教室で、バングラデシュ、ルーマニア、ドミニカ、コンゴ……出身地も年齢もさまざまな男女約20人とともに、約1ヵ月を過ごした。

あてられてもいないのに次々と大声で発言をしたり、携帯電話が何度も高らかに鳴ったり、そりの合わない男性同士がつかみあいのケンカをはじめたりと、私にとってはカオスな毎日だった。ドイツ人の女性教師が、何度ため息をついたかわからない。

私はそんな「問題児」たちを避けて席を移動し続け、最終的に落ち着いたのがモハメドという名の小柄で痩せた男性の隣だった。

彼はいつも一番前の席にひっそりと座っている物静かな男性だった。顔の下半分を覆うヒゲのせいで年齢のほどはよくわからないが、おそらく私と同じ、30代前半ではないかと思った。

彼の隣に座ると、仕事のあとにシャワーを浴びてきたのであろう(授業は午後6時から9時の3時間だった)、安ものの石鹸が香った。「みんなうるさすぎる」とあいさつ代わりに言うと、「わかるよ」という風に軽く頷いてほほ笑んだ。

彼と交わした言葉はそれほど多くないけれど、5年前にアフガニスタンから難民としてやってきたこと、スーパーマーケットで働いていること、このクラスを受け、無事にテストに合格すれば(クラスの終わりにはテストがある)、事実上の永住権が手に入ることなどを話してくれた。ドイツ語でのコミュニケーションにはさほど不自由はないようだったが、読み書きは苦手らしく、教科書を指でなぞりながら難儀そうにしていた。

「これまでは毎年滞在許可証を更新する必要があったけど、このクラスが終わればもう役所には行かなくてよくなるんだ」との彼の言葉に、「私は延長のためにこのクラスが必要で、またいずれ更新に行かなきゃいけない」と返すと、「日本とは事情が違うよね。ほら、僕の国では戦争をしているから」と言った。「日本とは違う」と口にしたときに、はじめて彼はにっこりと笑った。目尻にいっぱいシワがよって、同世代と思ったのは間違いで、あるいは50代のようにも見えた。

にぎやかなクラスメートたちをよそに、彼は最後までやっぱりひっそりとしていて、時間通りにやってきて、授業が終わるとすぐに姿を消した。プリントがすっかりはげてしまった買い物袋をバッグがわりにして、そしていつも安ものの石鹸のにおいをさせていた。

1ヵ月をともに同じ教室で過ごしただけ、それだけの関係だ。連絡先を交わすこともなかった。でも私は彼のことがけっこう好きだった。

7月22日の銃撃事件の犯人は、現状ではイラン系のドイツ人とされていて、難民問題とは直接の関係はない。思想的なバックグラウンドもない単独犯だと言われているが、まだ詳しいことはわかっていない。

だから、私が言いたいのは「難民のなかにはこんなに真面目でいい人もいるんだから、こんな事件があったとしても、難民への偏見はよしましょう」ということではまったくない。

じゃあなぜいまこんな風に彼について綴るのかというと、彼が働いていると言っていたスーパーが、まさに事件現場となったショッピングセンターのなかにあるからだ。

私が胸を突かれるのは、この事件が起こったときに、彼は何を思ったのだろうと想像してしまうからだ。故郷から逃れてきて、真面目に働いて、ようやく永住権を手に入れようとしていた国でも、目の前で人が殺される。難民ということで心ない言葉を投げかけられたこともあるだろうし、これからはもっとひどくなるだろう。

ドイツの政治や歴史、慣習を必死に勉強していた彼の姿は、私たちクラスメイトしか知らない。

無事だと思うが、それを確かめるすべはない。もちろんそのスーパーまで出かけて行くこともできるが、「大丈夫だった?よかった!」と言ったあとで、私は何を言えばいいんだろう。

大切な誰かと一緒にいて、笑っていてほしい、と思う。どうか彼が、部屋でひとり暗い目をしているなんてことがありませんように。

あのたどたどしく教科書をなぞっていた指先で、この国での幸せをつかんでくれますように。

世界中のひび割れをどうすればよいのか、私にはわからない。ただ、いっとき時間をともにした友人の幸せを願い、こうして文を綴るのが、私にできる精一杯のことだ。


2016年7月23日

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