見出し画像

私って考えすぎなのかな?

昨日、仲の良い友人と話す中で指摘されました。

「マホちゃんくらい真面目に考えてる人なんて、なかなかおらんで」と。

たしか、将来子どもが生まれたらどのような子に育ってほしいか、ということについて雑談していたときに言われたのだと思います。

私は、友人にこう言いました。

いわゆる「良い大学」とか「良い会社」とかにはこだわらないから、その代わり、「なぜ大学に行くのか」「何のために勉強するのか」について、自分なりに答えを出せる子になってほしい、と。

そのことについて考える力がある子ならば、どこに行ってもちゃんと働いて楽しく生きられるのではないか、と考えているからです。

…文章にしてみると、何だか子どもに対して求めすぎですね汗

私自身、結構突き詰めて考えるタイプなので、そんな子どもになってほしいと思っているのかもしれません。

私の場合、東大受験のタイミングでたくさん考えました。
「成績が良いから東大を目指す」「親や塾の先生に勧められたから東大受験を頑張る」というような理由は、私からすると受け身的で、あまりかっこよくありませんでした。
だから、「私は世界で活躍したいから、日本で最高の大学に行きたいんだ」という、当時の私なりの答えを出して、受験勉強に励むようにしました。
周りに流されず自分の意思の力で東大に受かった、という大きな自信になったと思います。

でも、良くも悪くも、ここまで考える人はかなり少数派ですよね。

また、この考える癖というのは、良い面も悪い面もある諸刃の剣だなと感じます。

例えば、私は相手がどう思うかを必要以上に考えてしまったり、自分のことについてもぐるぐると考えてしまったりすることも多いです。
真面目に考えすぎて、その結果責任も感じやすかったため、うつになったのも仕方なかったかなと今では思います。

このように悪い面も認識したうえでなのですが、実は、私はこの癖を結構気に入っているんです。

それは、私がうつから立ち直る原動力にもなってくれたからです。
うつで休んでいた期間、自分自身や過去のトラウマと向き合い、自分はどうありたいのかしっかり考えました。
うつの要因となったと思われる考えや出来事を振り返り、そこから教訓を得たことで、立ち直ることができたと思っています。

私にとってよく考える癖というのは、自分の相棒のようなものです。
ただ、考えるには結構な労力を要するので、他人に簡単に勧められるものでもなさそうです。

私は、自分の経験をもとにメンタルがしんどい人の役に立てたらいいなと常々思っているのですが、「私のように真面目に突き詰めて考えてね」とも言いづらいのが悩みです。

…という悩みについてブログに書いたということを冒頭の友人が知ったら、こうリアクションすると思います。

「そういうところが、考えすぎなんだよ」と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?