私はHSPなんだけど、
HSP(Highly Sensitive Person、繊細さん)という言葉は、最近わりと色んなところで流通しているように思います。
私自身もHSP的な特性を多く持っているのですが、日常ではそのことをあまり意識しないで生きています。
今日は、自分をどう捉えるかについて私なりに考えたことをお話ししたいと思います。
私は、多分HSPです。
多分と言ったのは、HSPかどうかについてはあくまでも自己診断で、病院で医師が専門的に診断を下すわけではない、という意味です。
(もっと言うと、HSPかどうかで二分されるものではなく、濃淡の差がある感じなのかなとも思います。)
私自身に関しては、例を挙げると以下の項目が当てはまっていました。
大きな音に過剰に反応してしまう
テレビや映画などの暴力シーンがとても苦手
他人の怒りが自分に対する怒りのように感じられて怖くなる
私は、大学卒業まではHSPという言葉をそもそも知らず、自分のそういった特性について意識したこともありませんでした。
うつで休養している間にその言葉を知り、
あ、私もHSPかもしれない!
と気づきました。
そこで、HSPに関する解説本を読んだり、HSP向けストレス対処法に関するSNSをフォローするようになりました。
しかし、そういった情報収集をする中で、一つ違和感を抱くようになったのです。
あなたはHSPだから、○○した方がいい。
あなたはHSPだから、○○しない方がいい。
HSPのあなたは、○○が得意。
HSPのあなたは、○○が苦手。
こんなふうに、SNSに書かれていることが多いように思います。
しかし、自分がHSPであることを意識すればするほど、自分の言動がよりいっそうHSP的になっていく気がしました。
本来の自分は、HSPからはみ出た部分もあったかもしれないのに、それが全部HSPのカテゴリに入るようになってしまう。
「HSPである自分」が、自分の全てになってしまう恐れがある。
そう感じて、違和感を抱いたのだと思います。
もちろん、これは考えすぎかもしれないです。
また、前提として、HSPという特性が発見されたことには大きな意義があると思うし、それによって心が楽になった人も多いと思います(私もそうでした)。
自分を理解する過程でHSPについて知れたのは、私にとって必要なことでした。
そして今の私は、自分がHSPであることをあまり意識していません。
私にとっては、「自分はこういう人間なのだ」と過度に決めつけず、「色んな面があるよね」とふんわり捉えるくらいが心地よいみたいです。
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