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ありのままで

毎日のように考えた。

考えて考えて出した答えは、
本当に正しいんだろうか。
もっといい答えがあるんじゃないか。

そんなことをしているうちに、秋が終わった。

やりたいこと

私が人生を通してやりたいことって・・?

思えば9年前、中学3年の頃からずっとこの問いがずっと頭の片隅にある。

大学進学、サークル入会、就活とか、
色んなタイミングで、
「よしこれだ!」って決断してきた。

でもだいたい2年くらいのスパンで、
「これでよかったんだっけ?」とわからなくなる

その中でずっと変わっていないこともある。

考えたことを何か形にして
残す作業が好きだということ。

このnoteもそうだし、
ひっそり作っている歌も、
大学時代だったら卒論もそう。

めんどくさいけど、誰かに何かを与えられる可能性を秘めているものに対して、熱中しやすい。

友達と話した、
「文化的な仕事がしたいよね」って。

作ったものを誰かが見て、
どう思ってほしいとかはない。
どう思ってくれてもいいものを、
ずっと作っていたい。

眩しすぎるよ

大人になるにつれて、
何かやるための真っ当な理由を探すようになった

この仕事だったら社会に影響を与えられそうとか
もっと小さなことで言うと、
この写真はわざわざストーリーに載せるほどのことじゃないからやめとこうとか、
自分の気持ちが昂ったときには自然と周りから見たらどうなのかを考えるようになった。

もう社会人だから、ちゃんとしなきゃって、
もう大人だから、ちゃんとしなきゃって、
素直な気持ちを押し殺す瞬間がたくさんある。

出る側だった時も、見る側になってからも何か考えさせられてしまうのが私にとっての早稲田祭。

日常の大変な練習を抜けた先に待つ非日常。
果たして社会人にそんな場所はあるんだろうか?

平日の仕事を乗り越えた先にある休日はもはや、
疲れを取るために存在しているにすぎないし、
非日常といえるほどキラキラしてはいない。

1年目の時よりもそんな日々が当たり前になって、しんどいなと思いながらも、
みんな同じだから頑張るしかないよなって言い聞かせてきた。

周りがどう思うか、
誰かにとっての当たり前なんて関係なく、
自分が信じることにまっすぐな眼差しが、
かっこよくて眩しくて、心打たれた。

社会人も悪いことばかりじゃない。
知らない間に人と話すのが上手くなってたり、
自分が知らなかった強みに気付けたり、
日々少しずつだけど前に進めてる気がするから。

でもやっぱり、
「社会人」をどこかで悲観的な言葉として捉えてしまう自分は嫌いだ。

だから、
世の中の社会人の当たり前に自分を当てはめるんじゃなくて、
自分なりの社会人の生き方をしようと思った。

人生の話をしよう

ずっと知っていた、
けど思えばちゃんと話したことなかった友達と飲みに行った。

初めましてじゃないし、
知り合ってから時間が経っていることもあって、
みんな「何話そうか?」って雰囲気だった。

でも気づいた時には、
仕事とか家族のこととか、人生の話をしてた。

ずっと知っていたから、
勝手に自分で作り上げた相手の像があったけど、
実は思ってたのと違うところもあったりして、
誘ってよかったと思った。

表面的には違う人間でも、
深いところで共感できることがあって、
もっと早く飲みいけば良かったねって話した。

学生の頃、サークルとか授業とか、
大人数で過ごしていた頃とは違って、
社会人になってからは少人数で過ごすことが多くなって、友達と言える人は思ってたより少ないんだなあと思っていた。

でも実際は機会がなかっただけで、
少しのきっかけで友達は増えるのかもしれない。

そう思うと心が軽くなった。

またしよう、人生の話。

責任の違いだけで

1ヶ月に1回は出張に行くような日々で、
特に身構えることもなく大阪出張に行った。

前泊の時間の過ごし方も上手くなって、
初めての街を歩いたり、喫茶店に行ったりした。

去年から何回かやってるイベントの運営。
他の仕事で手いっぱいで、準備段階はあまり本格的に関われてなかったけど、
今年は去年とは違う視点でその場所に立った。

イベントの主旨からすると、単純に人が多く来ればいいものではない。
でも去年と比べて来場者が減っている様子を見てるだけで自分が何もできないことが悔しかった。

実際、去年のイベントが終わってから、
もっとこうした方がいいよねって話し合って、
出した意見が通って想像以上に盛り上がった会場もあった。

でも色んな条件が絡み合うから、
全部がうまくいくわけでもない。

そんな中で全国から色んな人が集まって準備をしている姿を見たからこそ、それに対する来場者が少ないことに心が痛んだ。

良くも悪くも、
私は人のマイナスな感情に敏感で、
当事者のように落ち込んでしまう。

去年は何もかも初めてで、
何もわからなかったけど、
去年を知って、
2回目ってだけで責任の重さが変わって、
こんなにも見る視点、
感じる気持ちが変化するとは思ってなかった。

色んな仕事に慣れて、
諦めることも、
自分の意見を押し殺すことも覚えたけど、
まだ悔しいと思える自分がいて安心した。

住む街が変わる

思ってなかったタイミングで、
決められるかわからないな、
と思いながらの部屋探しは楽しかった。

でも決まった途端、
本当にここでいいの?
まだ引っ越さなくてもよかったかも。
って不安になってしまった。
思ってたよりもスムーズに、引越しが決まった。

決められるかわからないな、
と思いながらの部屋探しは楽しかった。

でも決まった途端、
本当にここでいいの?
まだ引っ越さなくてもよかったかも。
って不安になってしまった。

別れの日が近づくと、
いつもの風景が愛おしく見えてくるから厄介で、
帰り道はいつもより歩くスピードが落ちた。

何もない日は飽きるまで散歩をしたり、
お気に入りのお店ができたり、
寂しい夜は友達と長電話をしたり、
上司との付き合い方に悩んだり、
仕事終わりに疲れすぎてグリーン車に乗ったり、
初めて家の鍵をなくして途方に暮れたり、
人生の終わりみたいに大泣きしたり、
初めて歌を作ってみたり、

知り合いが近くにいない街で、
1人には広い部屋に住んだからこそ、
今まで見たことのない景色を見れて、
感じたことのない感情になって、
本当の意味で自分と向き合えた日々だった。

この街に来てから、
何も変われなかったと思ってたけど、
ちゃんと前に進んでる。

全く知らなかった街が、
私にとって大切な思い出になった。

よく歩いてた散歩道を、久しぶりに歩いた。

悩んだ時にいつも考えごとをした橋の名前が、
次住む街にある橋の名前と同じで鳥肌が立った。

そんな小さな偶然が、
私の選択は間違ってないんだと
背中を押してくれた。

次に住む街でもきっと私は大丈夫だ。

「考える」

考えて考えて出した答えは、
本当に正しいんだろうか。
もっといい答えがあるんじゃないか。

そんな風に頭を働かせ続けたのは、
自分のこれからの「生活」のことだった。

プライベートの時間のほとんどをそれに使って、
きっと間違ってないと思える選択ができた。

でも生活を充実させようとばかり考えて、
仕事に対する向き合い方、熱量が中途半端なものになって、平日はいつもよりも淡々とした日々を送ってしまっていた。

これでいいのかわからないけど、
大体このくらいだよなって、

思い返せば本当に情けないけど、
これまで大事にしていた「考える」ことを、
自分が気づかないところで諦めてた。

去年の自分だったら、
きっとできていたはずのことを、
今年の自分は、
できてないことにも気づいてない。

そんな自分に嫌気がさした引っ越し前夜。

こんな気持ちのまま、
生活環境を変えることが怖くなった。

怖くて怖くて、とにかく考えた。
今の自分に何が足りないのか、
どうすればいいのか。

「こうしてれば」ってことが、
何個も浮かんでくる。

それに気づける頭があるのに、
何してたんだろうって、
「私の仕事は考え事だ」って
自信満々に言ってた自分を思い出した。

短所の「スピード感」を克服しようとした結果、失敗して、
回りまわってやっぱり、
「考える力」を伸ばそうと思った。

色んな仕事のやり方があって、
足りないところばかりに気を取られていたけど、
自分に合った、自分だからできるやり方を突き詰めていくことが今の自分には必要なことだった。

楽観的な人間じゃないから、
失敗をいつまでも引きずってしまうし、
失敗した後は周りの目が気になって、
頑張ることが怖くなる。

でも考え尽くした結果、
これは私にとって必要な失敗だったんだと思えて、ちゃんと考えて、それをちゃんと周りに伝えられる社会人でありたいと思った。

失敗は、挫折は、私を強くする。

久しぶりに思った、「挫折、ありがとう」

自分にふさわしい

自分に足りない何かに気づいたとき、
それを持っている周りの人に嫉妬して、
自分もそうなりたいと思ってしまう。

金欠の時は給料の高い仕事をしている人に、
忙しい時は定時で上がれる仕事をしてる人に、
孤独を感じる時は友達が多い人に、
人間関係に疲れた時はひとり時間が多い人に、、

その時の自分の状態によって、
ころころ嫉妬の先は変わるし、
はたから見るとキラキラして見える人の、
裏の努力や悩みに気づけなくなる。

住む街を変えようとする時、
こんな仕事がしたいねって話した時、
仕事のやり方を模索した時、
自分にふさわしいものを考えられなかったのは、
自分に足りないものばかりを欲しがってたから。

だから金欠になったし、仕事でも失敗した。

結果論だけど、
きっと私には高望みをする癖がある。

高望みすることで大きくジャンプできることもあるし、どんな時でも目標は持っていたいけど、
そのタイミングを見極める力がつくまでは、
等身大の自分で、
自分にふさわしい生き方をしてみようと思う。

ありのまま

「ありのままでいいんだよ」
って言ってくれるのはいつも周りの人で、
自分でそう思えたことはない。

人を羨ましく思うのも、
高望みばかりしてしまうのも、
全部自分の弱さで、嫌いなところで。

でも色々考えて思った。

このままの自分じゃだめだけど、
ありのままの自分で生きようって。

最後の最後でズタボロになりかけたけど、
11月30日を退去日にしてよかった。

明日から2023年最後の1ヶ月と、
私の新生活が始まる。

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