麻雀は運ゲー?(2)

前回書いたとおり、麻雀の知識普及や技術の向上によって、かえって麻雀は運ゲー度が上がってしまいました。
麻雀には不運としか言いようがない場面がしばしばあるのに、主流のルールはそれを挽回できるチャンスを少なく設定していて、現代の打ち手はそのルールに沿った知識を身に付けてしまうためです。

これが皮肉なのは特に麻雀プロにとってです。プロたちは運ゲーだと感じつつも、そう言わない・言わせないために活動してきた面があるからです。麻雀は技術介入余地が大いにある知的なゲームであり、単なる運勝負だけのギャンブルではないのだと。
しかしその活動自体が運ゲー化を促進していたのでした。(また、かつて書いたように自動卓の撹拌率向上も運ゲー化を進めたように思います)

そう考えると、雀鬼流が「オリるな」という決まりを設けたのがわかる気がします。オリるのが常態化すると、ただの運ゲーになっていってしまってゲームがつまらなくなる(雀鬼流で言うところの「天運」頼みの勝負になる)。そう感じていたのかもしれません。

しかし知識が広まるのは止めようもないことです。それはしょうがないこととして、ではどのようなルールならばせめて運ゲー化を緩和できるだろうか?と考えたほうが生産的です。

運ゲー緩和のために必要なことは3つあると私は考えています。

  1. 打点が高くなりやすいこと(逆転可能性がある程度担保されていること)

  2. 手役作りを邪魔しないこと

  3. 鳴きを邪魔しないこと

1.はドラ表示を2枚開く(ドラを増やす)ことで対応すべきというのが私の提案であるのはこれまでの記事の通りです。
ドラが多いほど逆転可能性は上がるので、ドラ表示を3枚開いたりプラスで赤を入れたりする方法も考えられますが、そこで問題となるのが2.です。

ドラが多すぎれば手役の価値は相対的に減ってしまいます。
人間心理として、綺麗に手役ができるとこだわりたくなるものです。例えば面前でチャンタができると、ちょっとぐらい危険牌を通してでも和了ろうとしてしまうのが人情です。2翻しかないのに。
イーペーコーなんてたった1翻なのに何だか崩したくない気持ちが湧きます。

しかしこの心理によって攻め返しが起きやすくなって、運ゲー度が下がる面があるわけです。だから手役にはこだわれるように、ドラは多すぎてはいけない。かといって少なすぎてもいけない。(赤5を入れてタンヤオに偏るようなのもよくない)
手役を作るという行為は麻雀において重要な楽しみの一つですから、これを毀損してはいけない。

点数的には満貫がまあまあ出やすいぐらいが一番各人の打点が拮抗しますから、出現可能性が高い手役とドラを合わせると満貫が狙えそうなドラ枚数がよい。そう考えると、ドラ表示2枚あたりがほどよいかなと思います。

そして3.が重要です。
鳴きには悪い配牌やツモでもなんとか和了りに持って行ける機能があるわけですから、運ゲー度を下げるためには鳴きを制限するようなルールは可能な限りなくしておくべき。

鳴きを制限する最も強い存在は裏ドラです。
最大で4翻アップする裏ドラを前にしたら、手が短くなる鳴きはしたくなくなるのも当然です。また裏ドラは面前でないと見られませんから、どうしても打ち筋が面前に偏ってしまいます。面前というのは、言い換えれば「自分のツモ運だけが頼り」ということです。
裏ドラは麻雀の運ゲー度を格段に上げる存在だと言っても過言ではないでしょう


麻雀の運ゲー度が下がる日が来るといいのですが、どうでしょうねえ‥‥Mリーグを見ても、競技麻雀を見ても、現状未来は暗いですね。
Mリーグはタレント的な活動で麻雀人気を得られているようですが、果たしてこのままの方向で麻雀業界としてはよいものなのか。わかりません。




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