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当たり前を失うとき【30分日記 Vol.28 1/25】

ご近所づきあい、というものがある。
と言っても、ただ近くを通った時に見かけたら挨拶する、それくらいのものだけど。
昔は、家に醤油がなかった時とかに分け合って助け合うなんてこともあったようだ。
今じゃあんまり想像がつかない。

通学路にあったクリーニング屋さん。
私の「ご近所づきあい」と言える場所。

私が物心つく頃からずーっとあった場所だった。

クリーニング屋さんは、小さな頃から、母親が買い物の終わりがけについでに寄って行く場所。
そして、クリーニングを出した後に、そこにいるおばちゃんやおじちゃんと少し立ち話をして帰って行くのが常だった。
立ち話の内容は、私にとって成長の証の一つになっていて、入学、卒業、受験、そうした節目の時期は必ずその話になる。
私の話なのに、「あぁ、もうそんな時期か」なんて変なことを思ったこともありながら、何気なく会話を聞いていた。

私がおつかいとして一人でクリーニングを出すようになってからは、私も世間話をする方に回って、最近どうだとか、そろそろこんな時期だとか、そんなことを話した気がする。

ある日のこと。

「『この店閉めることにしたんだ』って言ってた」

びっくりした顔で、母が私に言う。

おじちゃんとおばちゃんは、いつも通りにクリーニングを頼みに来た母親に、そう伝えたようだった。

……そうかぁ、無くなっちゃうんだ。
寂しいなぁ…。

字面にすると淡白だけれど、結構ショック。
別に、ただのクリーニング屋さんなら大したことはない。
次何になるのかの方がよっぽど気になる。
でも、そのクリーニング屋さんは違った。
私の成長と共にあったのだ。

通りがかって挨拶するだけで喜んでもらえて、いつも近況を気にしてくれた。
何にもしてないのに、すごいねぇと褒めてくれた。

ずっと当たり前にあったから、無くなるイメージがつかない。
私は今から、私が成長してきた証を一つ失うのだ。

閉店までの間は、できるだけ顔を出した。
「辞めないでくださいよ」なんて言いながら、うまく言葉にはできなかったけれど、自分なりに閉店を惜しんだつもりだ。

結局、最後の日が終わってシャッターが下ろされ、そしてそれが2度と開かなくなるまで、あまり実感は湧かなかった。
なんだかんだでまた開きそうな気がしたが、そんなことはなく。
今は無人販売所になっている。

久しぶりに、何かが無くなる経験をした。
当たり前にあるはずのものが、フッとなくなる。
心に穴が開くとか、そんなことを言うつもりはないけれど。
日常に一つの違和感が残る感覚は、いつになっても慣れない。

あるうちに味わっておくのが大事だなぁと、改めて思った。
味わうと言うのも変だけれど、「推しは推せる時に推せ」と少し似ているのかもしれない。
あなたもぜひ、後悔のないように。

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