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自己啓発本は無意味なのか、考察する。

 自己啓発本って言うのは、自分の能力の向上を目的として書かれた本の事。

 ブログでも動画でも「自己啓発本ww」みたいなちょっと馬鹿にした内容をよく見る。
 あまりにも多いから、ちょっと反抗したくなった。

 考察する。

「自己啓発本は無意味なのか」
●結論:本人次第
●理由:対象範囲内か外かがあるから

●説明

 そもそもの話。
 著者は本気で変わりたい努力したい。と思う人にあてて書いている。
 そんなことを思っていない人に伝わらないのは当然。

 超絶イケメンに依存されて困っているヒロインが登場する恋愛小説を、主に女性に向けているみたいに。

 主人公がモテモテでおまけに強くてバリバリ無双するラノベを、主に男性に向けているみたいに。

 そんな都合のいい話ww
 って、お互いに思ってるでしょ。
 で、そう思ったらもう楽しんで読めない。

 つまり、感情移入ができない

 自己啓発本もそれと全く一緒で、感情移入できる人は楽しめるし、できない人は楽しめない。
 ただそれだけの話だと思う。

 成功した人の頭の中を覗くことが出来るのが、自己啓発本。

 読書をする人は、特に自己啓発本を読んでいる人はよく分かると思うのだけど、人間ってびっくりするくらいそれぞれ考えていることが違う。

 自分から見て圧倒的な努力している様に見える人は、その努力が習慣になっていて、もう努力とも思っていない人ばかり。

 それは脳みその使う場所が変わるから、当たり前と言えば当たり前。

 だけど、努力を努力と思っていない人の頭の中を覗けるって、これ以上の人生の教材はない。

 そうなる為にはどれくらいの時間が必要なのか。
 どれだけやれば報われるのか。

 そんな人生の地図になり得るのが自己啓発本。

 だから、本気で自己啓発本を読んでいる人は、自分の本棚を見られる事を極端に嫌う。

 その本棚は、自分の目指したい場所であり、今までもがいてきた爪痕であり、現在の自分になった軌跡だから。

 自分の全部が暴かれてしまう様な錯覚がある。

 「自己啓発本を年に何冊以上読むと鬱になりやすい」って言う研究があるって言うのもよく見る。
 逆じゃなくて? 鬱になるくらい自分がダメだと思い詰める傾向にある人が、すがる思いで自己啓発本を読んでいるんじゃないの?
 私はその論文を見つけられなかったから、これ以上の言及はやめておく。

 「自己啓発本を読みすぎると軸がブレる」って言うのも結構見るのだけど、そもそもその〝軸〟というのは何か。

 私は価値観だと思う。
 その価値観を構築するのが、自ら考える事。
 読書も一つの手段。

 軸がぶれるのは自己啓発本を読みすぎているのが原因ではなくて、取捨選択する能力が乏しいだけ。
 ぶれると思うのなら、自己啓発本を読むことを控えるのではなくて、取捨選択する能力を磨く方法を考えるべき。

 人間は自分を正当化する理由を見つける様にできている。

 たくさん運動したから、これくらいなら甘いものを食べていいや。となる気持ちも、仕事で疲れたから今日は自分へのご褒美でお酒を飲もう。って気持ちもそう。

 正当化する矢印を自分に向けている人は自分を変えようとするし、その矢印が他人に向いている人は読んでもいない、自分は使いこなせないだけの自己啓発本を否定する。

 だけど、「自己啓発本読まなきゃ読書じゃないだろww」みたいなのも押しつけがましくて好きじゃない。
 人間はそれぞれの考え方があるんだから。

 人生が短い事を知っているみなさん。
 一緒に見られたくない本棚を作ろう。

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