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あえて不倫を本能レベルで考察してみた

 先日、中野信子先生が、不倫について脳の観点から話をしていらっしゃるYouTubeを見まして、私も考えてみたいなーと思いました。

●結論:仕方のないものなのかもしれない(本能レベルではの話!!)
●理由:生物として、この人ひとりだけ! という風にプログラムされてはいないから。

●説明
 不倫って人生詰むよね。一度でたくさんの人に迷惑をかけるし、何より傷つく人がいるし。

 当然、ダメな事なんですが。
 じゃあどうして人間は不倫するんだろうと思いました。
 考えてみると面白かった。

 ちょいと歪だなーと思うんですよね。

 以下、私のイメージ。

 みんな理性とか感情の部分で話をする。だからあえて、本能的な話。

 ぐらっぐらの本能の上に無理矢理、知性とか理性とか呼ばれるもので蓋をして、その上に関係性を築いている、という様なイメージ。

 誰かにとられたくない
 一緒にされたくない
 自分だけのものでいてほしい
 どこかに行くかもしれない
 そんな不安(感情という極めて高度なもの)が多くの人間の共感を作って、社会的な理論を構築した。

 それから「法律」の様な決まりを作って、バチバチに固めている。
 ぐらっぐらの本能を。

 という現状なのかな。と。

 中野信子先生もおっしゃっていたが、人間は再婚も気持ち的にできるし、一夫多妻も気持ち的に可能。

 「大奥」とかいい例だよね。
 高貴な人過ぎて、あそこまで行くともう義務だし、もはや様子が違うけど。

 無理矢理いい所を上げるとするなら、精神的に安定したりとか、秘密を共有する事によって生まれる何とも言えない蜜の味というか。相手方のパートナーに対する束の間の優越感とか。第二の居場所の様な所属欲求を安易に満たせる役割とか。

 で、同時に精神的不安定にもなる。いつ自分の所に来てくれるんだろう、とかまだ良心の働く人なら、倫理的にアウトだとか、一つの家族が自分のせいで壊れるかもしれないとか。

 だから安定しているけど、結局すぐに精神的な不安定が来るから、不安定と安定を繰り返す。
 万物は止まっている時が一番落ち着いているから、この波は相当つらいはず。
 生活の質も落ちるだろうし、何より病む。

 それを言うとW不倫ってめっちゃ強くないか。
 この人と一緒になりたいってなったらあれだけど、お互いに絶対にバレてはいけないっていうので結ばれているし、最悪の不仲でなければ取り合えずパートナーがいる事で所属欲求とか本能的なものは満たされている。

 でも実際問題、不倫でパートナーが困る事ってたくさんある。
 気持ち悪いとか裏切られたとか思う感情も勿論なんだけど、子育て中の方なら、パートナーがせっせと不倫している間、子どもの世話をしているのは自分な訳で。

 精神的にギリギリの所にいる自分と対して、他人に構う余裕のあるパートナー。
 相手だけ自分の時間があって羨ましい気持ちもあれば、思いやりのなさにも幻滅する。

 人間の子育てって手間も時間もアホみたいにかかる。だから昔昔の人々は集落の中、みんなで子育てをしていたわけで。

 現代は平日ワンオペとかいう、モード修羅かよって感じだから、そのタイミングの不倫はさすがに自己中すぎて即処刑。

 そんなところまで話し出しだすと今回の本能って話からずれるからやめとくけど、そんな状態でされたらムカつくよね。

 でもさっき言った、誰かにとられたくないとか、一緒にされたくないとか、自分だけのものでいてほしいとか、どこかに行くかもしれないっていう不安などなど(感情という極めて高度なもの)も根本を辿れば本能に結びつくはずで。

 人間の脳みそって狩猟時代から現代も変わっていないから、そんなマジもんのモード修羅の時代を生きている人たちだと、パートナーが自分の所に食べ物を運んでこないとかなると本当に死活問題だから、自分の身を守るためにそういう感情が生まれているのかな、と。

 もういっそ、自分が危ういと思う人は結婚後も不倫をお互いに許せる人と一緒になるのはどうだろう。って私は結構本気で考えてる。

 多様性のご時世だし、よくないか? 結婚って言う生活の根元みたいな部分に心から一緒にいたいっていう人と一緒にいられれば。

 セカンドパートナーとかね。
 そういうテキトーな感じもこのストレス社会には、一案としてあっていいのでは。

 でも、自分の子どもを必死で育ててるパートナー置いて自分だけ優雅に不倫するのは即処刑な。(結局感情論)

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