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被災地で父を送る

父が亡くなった。
危篤の報を受けて急遽帰省したが、わずかに間に合わなかった。

私の故郷は能登の地震の被災地にある。
故郷に近づくにつれ、車窓から見える家の屋根にはブルーシートが目立ち始め、倒壊した建物も見えた。駅のホームにも裂け目が残されていた。

父は歌が好きだった。
歌の上手さは本物で、若い頃はのど自慢荒らしで大手レコード会社からわざわざスカウトが来たこともあったらしい。
初めて採点カラオケで歌ったとき、いきなり99点を出し、「100点の取り方、分かったわ」と豪語し、2曲目で100点を叩き出した。

お酒も好きで、これが晩年の体に影響した。胃がんで胃を半分以上摘出しても止めなかった。
医師にお酒を止めないと死にますよ、と言われ、止めますと答えたが、日本酒を止めてビールを飲んだ。
母から私に愚痴の電話が来て、「ビールもお酒です。まだ何度も会いたいから止めて。」と手紙を書いたこともあったが、隠れて飲み続けた。

元日の地震の際は、母が入院中で介護ができず、父も大きな病院に入院していたため無事だったが、入院中の誤嚥性肺炎、コロナの院内感染に体力を奪われたのだろう。死亡診断書の死因は肺炎だった。

通夜・葬儀は被災地という制約の中とり行った。
葬儀会場は使えるホールが一つだけ、数日前から水が飲めるようになったが、用意できる料理が限られていたり。式中も「余震があった場合は駐車場へ避難」とアナウンスが入った。係の方の住む地域はまだ水道が使えないそうだ。
斎場も被害を受けており、中に入れるのは一度に3人に制限され、火葬の間は駐車場で待機した。

町中は比較的新しい建物は持ちこたえていたものの、傾いたり、崩れ落ちた建物も手つかずに残っている。正月飾りがかかったままの家もあった。
代々の墓を見に行ったが、やはり倒れていた。

葬儀も終わり、諸手続きを済ませようと思っていたが、私がいる間にできる事があまりなく、役所も地震関連の対応に精一杯のようだった。

喪失感とともに無力感、心残りを抱いたまま、故郷の駅を後にした。
駅の発着メロディは『ハナミズキ』。
これから、不思議な縁ができたこの歌を聴く度、今日の事を思い出すのだろう。




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