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唇に赤い花 ~short story

「終わったら30分くらい付き合って?」

 営業部のチバタこと千葉辰己から、昼休み中にメールが来た。彼から私に直接連絡が来るなんて、多分初めてだ。

「何の疑問型だよ。」

 と突っ込みながらも、秒速でOKを返す。明日できる事は今日やらないと決めて、サクッと定時上がり。ロッカールームで化粧を直し、さり気にパフュームをつけて、待ち合わせの駅近のカフェへ。

 軽く息を切らして飛び込んだ私を、チバタは引き気味の笑顔で迎えた。

「お疲れー。ありがとうね。」
「お疲れさま。どうした?今日は…私だけ?」

私、日比谷晴海とチバタ、他3人の同期メンバーは、今の化学メーカーに内定した直後の研修セミナーからの付き合いで、私以外はみんな男子。以来何かにつけて集まっては、仕事のストレスを解消して来た。彼を『チバタ』と呼び始めたのは私だ。元々は『チバタツ』だったが、飲み会の席で、

「小学校からずっとそう呼ばれてるんだよねー。てか、一文字しか短くなってないし。」

 そう言う彼に、

「チータ、バータ、チバチバ、チーバくん、どれがいい?」

と追い込んで、消去法で選ばせた呼び名だ。お返しに『ヒビヤン』という負けず劣らずダサい名前をもらった。まあ、『ビビアン』っぽいし、男子に名前をつけてもらうのは初めてだし、気に入ってなくは、ない。

「実はヒビヤンにお願いがあってね…プレゼント選びを手伝って欲しいんだけど。」

「へー。ってことは…女だ!彼女?できたの?」
「できた。」

 その展開は予想してなかった。私は自分でも意外なほど動揺したけれど、顔には出さなかった。…多分。もっとも、顔に出てもチバタは気づかなかっただろう。とにかく鈍いヤツなのだ。

「会社の子?いつの間に?」
「有明食糧の研究室の子。開発局の市川課長に同行で、試薬のプレゼンに行った時、向こうの担当で。何回かサンプルとかデータを持ってってるうちに…ねえ。」

 ねえじゃない。ねえじゃないぞ。

「写真とかないの?」
「あるけど」

 …けどじゃない。
「けどじゃない!」

 心の声が大きめに漏れた。
 チバタはポケットからスマホを取り出すと、アルバムから写真を開いた。

 緩やかにウェーブしたセミロングの髪を肩に弾ませ、透明感のある明るい顔色は、柔らかい光に包まれた真珠のよう。文句無しの美人だ。でも、何かが足りない気が。華がないというのか…。

「綺麗な人だね~。これですっぴんでしょ?」
「そう。研究職だからね、化粧っ気がないって言うか。職場じゃ白衣だしね。もうすぐ誕生日なんだよ。大げさな事はできないし、予算もないけど、何かいいプレゼントをしたいなって。こんなこと頼めるのヒビ姉だけなんだよ。」
「勝手に名前をアレンジしないの。何なら生まれはあんたの方が早いんだからね。名前は?」
「紗永。いとへんに、少ないに、フォーエバー。」
「・・・・・・」

 改めて写真を眺めていると、一つアイディアが浮かんだ。

「口紅、だね。」

 カフェを出て、私はチバタを近くのデパートのコスメ売り場へ連れて行った。いつも私が買い物をする店だ。チバタは居心地悪そうな様子で目を泳がせながらついて来た。馴染みの店員さんが、今日は彼氏とご一緒?みたいな目で寄って来た。そんなんじゃないぞ、とつぶやきながら、グラデーション状に並べられた口紅を、左から右に目で追った。

「プレゼントなんです。…妹に。」

 こいつ嘘ついたよ、という顔のチバタを目で制して、私はグラデーションの真ん中辺りから、ビビッドで深みのある赤い口紅を手に取った。

「やっぱこの色だな。」

「鮮やかすぎじゃない?上級者向けって言うか…。」

「いいんだよ。女の”ON”の貌(かお)を作るんだからね。ちゃんと紗永ちゃんの髪とか肌の色とか考えて選んだんだから。」

 翌月、同期メンバーの飲み会。新しい写真を見せられた男子たちは狂喜した。『華のない美人』は、鮮やかな赤い口紅をまとって、『華やかな美人』になっていた。

そして、次の年の彼女の誕生日、彼女は『華やかな美しい花嫁』になった。

 同期会のメンバーたちと、チャペルの席に並んだ私のすぐそばを、白いドレスの花嫁が歩いていく。 結婚式で『思い出の口紅』を使うことはチバタから聞いていた。あの赤は、ヴァージンロードの赤だったか。祭壇の前の新郎新婦の姿に、男子たちから溜息が漏れた。

「美男美女やねぇ…。」

「式場のパンフレットみたいだねぇ。」

「次はヒビヤンの番だね。」

「…私は、当分ないよ。」

 チバタといい彼らといい、つくづく鈍い人たちだ。同じ口紅を私もつけているのに。彼女のプレゼントに選ぶ前から。

 誓いの口づけを促されて、チバタが花嫁のヴェールを上げると、今度は列席した女性たちから溜息が漏れた。私の選んだ赤い口紅。その唇に誓いの口づけをするチバタ。

 その赤は私が残した小さな爪痕だった。

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