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雑記2 デザインを言い訳に、身体性のあるしごとをする。

身体性のあるしごとがしたい。

最近はつよくそう思う。
それは、いままでずっと「考えて、パソコンと向き合う」ことをしごとにしてきたからなんだと思う。ただの逆張りと言えばそれまでだけれど、きっとこれはなにか大きな心境の変化な気がする。逃すまい。

最近は、珈琲を振る舞ったり、雑誌としてじぶんのことばをモノにして届けたり、今まで全然やらなかった料理をやってみたり、そういった物体・物質的なモノと向き合あった先に、ヒトの存在を認識するようなしごとや生活をしている。

「しごとや生活」、よりも「生活ともいえるしごと」、と言った方が適切かもしれない。

じぶんの身を使って、豆を挽き、淹れた珈琲を身を使って飲んでもらう。

じぶんの身を使って、ことばと写真を編んで重ねて綴じた雑誌を、身を使って読んでもらう。

じぶんの身を使って、フライパンをふるったごはんを、身を使ってたべる。

ぼくの中の「身体性のあるしごと」は、身の回りにあるモノとヒトと、身を使って会話するような「生活ともいえるしごと」なのかもな。

ただ、今の本業であるデザインも相変わらずだいすきで、作り続けたいとも思う。

画像は、ここ2ヶ月のうちにライフワークで作ったデザイン。上3つはカフェ。しかもぜんぶ自分が振る舞うもの。

自分は割と飽き性だったり、ダジャレがすきだったり、妄想以上企画未満なアイデアが出てしまったりするので、看板だけすげ替えて(コンセプト的にもろもろ変える部分もあるが)いろいろ試してみたりしている。

『喫茶カミオカ』はゆるく、仕事をしながらぼーっとやる、名前通り自分本位なカフェ。


『雨だし珈琲店』は、「雨だし、珈琲でもどう?」という、雨をちょっと前向きにするカフェ。

『喫茶こかげ』は、店主2人の「陰」の要素から生まれたzineや雑誌が、誰かの励みになったらいいなという理由ではじめた「かげで休みをてらす」カフェ。


それぞれ、デザインは自分でやって、自分や友人とでカウンターに立つ。受発注のしごとが基本のフリーランスデザイナーとしては、それがなかなか新鮮で、とっても面白い。

本業であるデザインを言い訳にして、身体性のあるしごとをする。

なんだか、少し身が軽くなったような、肩書きをいい意味で捨てられるような、そんな感覚がある。
裸一貫。文字通り、身体性のある、というか身体性しかないしごと。肩書きではなく、ぼくはぼくとして、目の前のしごとに向き合うということ。

いつしか自分を「デザイナー」という枠に押し込めてしまっていたのかもしれない。

この感覚、忘れないでいたいな。

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