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どうしたらそんなに、自分らしくいられるの?|ひとりよがり出版No.001-YUTAKA

この記事は、ひとりよがり出版が発行する雑誌の創刊号「YUTAKA」のデジタル版として公開したものです。ひとりよがり出版については記事の最後に詳しくお話ししていますのでそちらをご一読ください。
記事自体は無料でお読みいただけます。

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はじめに - ひとりよがり出版を始めた経緯

 初めまして。ひとりよがり出版の神岡真拓(かみおかまひろ)と申します。はじめてnoteを書きます。

 僕は、人が好きなのに人見知りなグラフィックデザイナーです。グラフィックデザイナーをやっていると、世の中の「紙離れ」「デジタル移行」の流れを嫌でも感じます。案件もSNSやWEBなどデジタル領域が本当に増えています。でもそれって、言うなれば紙モノの希少性が上がるということ。その中で最近は「現代においての紙モノとの付き合い方」を考えるようになりました。

 一方、そのデジタルの世界では、媒体の中の話になりますがSNSなどをみてみると不要なマウンティングや自己顕示、どこかで誰かが誰かを叩き合っている、そんな印象を受けます。これは僕が思うだけなのかもしれないですが、デジタルという世界には「距離」がないと思うのです。ないというよりもわからないといったほうが正確かもしれません。人がぽろっと呟いたことも、別な誰かに言っていることも、自分のすぐそばで聞こえている。だから無意識に聞き入ってしまっていて、自分のことのように解釈してしまう、そんな感覚なのではないでしょうか。

 僕はそんな世界にほんの少しだけ怖くなってしまいました。顔色を伺いながら、話したり、耳を傾けたり。「〇〇すべきだ!」「あっちが悪い!」などの強すぎる意見に「距離」がわからない状態では心がいくらあっても足りません。そりゃあ、ひとの意見を受け入れることも、意見することも大切です。だけど、もっと譲れないところや、大事にしていることを「ひとりよがり」に「柔らかく」表明してもいいんじゃないのかな。

 そんな思いと、前述の「紙モノとの付き合い方」、さらにはグラフィックデザイナーという境遇が折り重なって、出版企画を持つことにしました。紙モノは、モノとして存在する以上、物理的に人は距離感を認識できます。また「取っておいて、見返す」や「保管する」という行為にみて取れるように、能動的に自分から距離を作ることができます。その紙モノの中で、メディア性と個人的に内容の切り出し方、編集のやりがいを感じるものが雑誌でした。

 特に通しのタイトル・テーマは決めないつもりでいます。1タイトル1冊。今回はピォー豊くんと散歩して、彼を、彼と僕との時間をひとつの雑誌にまとめてみました。僕をフィルターに彼を紹介する他己紹介ツールとも見えつつ、彼をフィルターにして僕の思考を届けるメディアの側面もあります。ひとりよがり出版は、そのくらいニュートラルな、パブリックとプライベートを行き来するようなものでありたいです。

 長くなりましたが、このような経緯で、記事をあえて「紙モノ」ベースで編集しています。それではお待たせしました、お待たせしすぎたかもしれません。是非最後までお読み頂ければ幸いです。

ひとりよがり出版No.001-YUTAKA

 彼とSNS上で繋がったのは2019年の7月ごろ。僕のロゴデザインに対してのツイートに反応してくれたのがきっかけだった。

 僕から見た彼のSNS上でのキャラクターは、とてもポジティブで明るいひと。そして「ウェルビーイング」をキーにクリエイティブカンパニー「Honey At」を立ち上げた、すごくイケイケなナイスガイ。そんな彼に僕はずっと興味があった。ウェルビーイングにも前から興味があったし、何より陽の気をすごく感じる。タイムラインに流れる彼のイメージは、実物だとどんな感じなのだろう。

 画面越し、テキストではわからない彼の人間味のある部分を、思い出の地だという渋谷文化村周辺を散歩して覗いてみた。

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「文化村」 というまち

 渋谷文化村が思い出の地だと聞いて、まず純粋に「華があるな。」と思った。これは完全に偏見でしかないけれど、渋谷という時点でイメージは「キラキラでイケイケ」。そして「文化村」となると「少し敷居が高く、芸術の街でお洒落」なイメージ。イケイケでお洒落…めちゃめちゃ華がある。僕は勝手に、そのひとしか知らない地味な場所とか、そういうのを想像していた。全くもってひどい話だ(笑)ただでも、そこを選んだ理由を聞かないと始まらない。散歩しながら、彼はこう話してくれた。

  「Honey Atの結成時に毎日ずーっと入り浸ってたんだ。それに、ここ周辺は小さなお店がたくさんあったり、まちのカルチャーが濃いのがとても楽しくて。自分は古着も着るから古着屋がたくさんあるのもいい。」

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 確かに、文化村周辺、特に裏に入ると途端に静かになる。お店もこじんまりとしていて、時間の流れが少しゆっくりになったような気がした。渋谷といえば、スクランブル交差点。せかせかとひとが行き交い、ごった返している僕のイメージはどこにもなかった。どこか僻み節があるのは完全に埼玉育ちの悪い癖だと思っている(埼玉のせいにするな、単にお前の育ちのせいだぞ)。彼は続けた。

  「ここの近く、池尻大橋の方にあるNEW STANDARD(旧TABILABO)にジョインしていたのもあって元々知ってはいて。今年の春くらいに株式会社カラスの牧野圭太さんにお会いできたのがこのまちで、いろんな出会いが重なったのもありこのまちが好きになった。」

 まちを好きになった理由がひとにあるというのはおもしろい。たしかに、まちを歩いていると、お店ひとつひとつが地域に根ざしているように感じる。都心にありつつもひとつ奥にあるこの距離感はとても絶妙で、「カルチャーが濃い」と言っていたのもうなづける。ひとはそんな、そこにしかない情緒的な空気に惹かれて集まってくる。「出会いが重なる」そんなまちを好きになる彼に親近感が湧いた。今度移転予定のHoney Atのオフィスも文化村のあたりを選ぼうと思っているそう。ぜひできたら遊びに行かせて欲しいものだ。

自分ははぐれもの

 そもそも、僕らはSNSでつながった関係。一度オンラインで話してはいるが、初対面のような、そうでないような不思議な感覚がある。だから今回、彼がハーフでないということを初めて聞いたのだ。無論、国籍がどうこう、生まれがどうだからという話をしたいわけではないが、「ピォー」という苗字から彼のルーツは気になっていた。そしてそういうものは大概ひとの生き方を左右しているものだ。

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  「いや、ミャンマーの純血だよ。国籍もミャンマー。育ちが日本で。英語は幼い頃からインターナショナルスクールに通っていてね。ミャンマーというのが小さい頃はすごく嫌だった。今はそれも自分の個性として受け入れられているけれど。うちは五歳上の兄と五歳下の妹がいて、二人ともめっちゃ優秀なの。そもそもすごく学歴重視な家庭で、少しそれに抗うように、自分のやりたいことをやってたね。家族の中では、ひとりだけはぐれものというか、変わったやつみたいに思われてたと思う。」

 なるほど。我が道を行くような、自分らしいスタイルはそこからなのだろう。ミャンマーという国籍を選んだ理由も、みんなと違うからだそう。

 「ミャンマー国籍、日本育ちでクリエイティブの世界にいるのってきっと自分だけなんじゃないのかな、と思ってね。」

 おもしろい。そんな特殊な境遇であることを「羨ましい」と思ってしまうほど、彼は自分のことを軽やかに語る。しなやかで、芯を感じた。

「ひとりよがり」 と 「わがまま」

 「そういえば『ひとりよがり』って、いいワードだね。自分はよく『わがまま』とか言って自己紹介したりするんだよね。」

 いいワードだって。うれしい。ありがとう。そして言われて気がついたけれど、「わがまま」も近い。なんかこう、一見ネガティブな言葉に聞こえるけれど、どこか愛嬌を感じる。他にも「頑固」という言葉。この言葉、僕は『素直』の裏返しだと思っている。まっすぐすぎるが故に曲げられなかったり、譲れなかったり。「ひとりよがり」という言葉を選んだ理由も、そんなネガの裏にあるポジティブがおもしろいと思ったから。そしてそれが「個人が雑誌を作る」という行為と相性がいいと感じたからだ。僕は情緒的で概念的な話ばかりしてしまう癖があって、友達から面倒がられることもある(笑)だから、ひょんなところで彼と共鳴できた気がして、うれしかった。

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みんな 「幸せ」 を望んでる

 今日は聞いておきたいと思っていたことがひとつある。それは「どうしてウェルビーイングをキーに会社を立ち上げたのか」。自分自身、興味はあるけれど知識はほとんどない。

  「ウェルビーイングって、すごく素敵な概念なのに、日本ではなかなか馴染みがない。英単語的にもぱっと聞いてピンとこないし、なかなか浸透しないんだよね。」

 確かに直訳して「よくしていく…こと?」みたいに解釈してしまう。彼はそこにこう続けた。

 「確かに、まだ歴史も浅い概念ではあるけれど、要は幸せを探求すること。幸せになりたくない人なんて、いないと思うんだ。」

 すごく簡単なことだけれど、その通りだ。ひとはみんな、幸せを望んでいる。これは勝手な推論にすぎないけれど、インターネットが普及していろいろなひとの生活の断片が見えるようになり、いつの間にかひとの幸せを、前にも増して羨ましがるようになっているのではないか。幸せとはもとよりひとそれぞれ違う。そんな多様な幸せのカタチがあらわになったことで変にうらやましく思ってしまったり、それが妬みに変わってしまっているような気がするのだ。幸せにロールモデルなんてないのに。ウェルビーイングという概念が熱をおび始めているのも、自分自身の幸せに対してしっかりと向き合おうというひとつの流れのように感じる。彼はウェルビーイングを浸透させるために、Honey Atとして定義してひとつのムーブメントを作ろうとしている。そしてその定義が「自分らしさ」だという。なんとも彼らしい、と思った。

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 「自分らしくいられること/あなたらしくいることが幸せに近づく一歩であって、それをみんなが尊重できれば、社会がウェルビーイングに近づくかなと。」

 おもしろい。僕は最近「自然であること」の大切さを感じていた。「自由」ではなく「自然」。「自由」って、開放されてすごくポジティブに聞こえる。一見幸せになれそうに感じるけれど、必ずしもそう感じるだけではない気がしている。「自由」すぎると、何をしたらいいかわからなくなったり、ひとでもモノでも「自由」すぎる何かに振り回されたり。それよりも、自分が「自然」でいられるということの方が遥かに幸せなのではないか。それってすなわち「自分らしくいられる」ということなのかも、と彼の話を聞いていてつながった。

 「ウェルビーイングに解はないから、みんなに自分事にして幸せを考えてもらいたい。そのためにもまず、きっかけとして『you-being』をアピールしていきたいんだ。」

 「話したりないね」と言いながら、僕らは渋谷文化村の裏にあるカフェバーに入った。ビールを頼み、カウンターに座りながら、もう少しだけ話をしよう。

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今日の縁に、思いを馳せる場所 「午後4時半の縁側」

 渋谷文化村の裏は銀杏並木が色づき、午後4時半の低い日差しに照らされて12月とは思えないほど秋の景色を装っていた。彼の思い出の地で、思い出の話を聞くのは心地いい。

 渋谷文化村の裏側にあるカフェバーでビールをいただきながら、お互いのことを話した。作った作品。チームのこと。そしてまた「自分らしさ」について。

 豊くんは、なんというか、まっすぐで懐のあたたかい人。埼玉生まれ埼玉育ちで引っ越しもなく、特に目立った実績もない僕とはほぼ真逆の境遇でありながら、考えていることが近くて、とても不思議な感じ。好きなことに対して好きと言ったりするすごく純粋な一面と、しっかりと考えや思いを巡らせている賢さが見える一面。その二つの間から感じる愛嬌。この愛嬌が、媚びていなくてなんともちょうどいい(笑)彼は自分を「わがまま」と称していたけれど、僕は「素直」という言葉の方が似合うなと思った。

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 一日一日をすごく前向きに捉えて、まっすぐに進んでいる。そんな姿をみていると、僕もポジティブに生きようと思わせてくれる。背中を押してくれるのではなくて、一緒に隣に並んでくれるような、そんな愛のあるひとだった。彼が、彼らが唱える「自分らしさ」の哲学を、僕はもっと知りたくなった。

ピォー豊
米インディアナ州デポー大学 教育学専攻4年
株式会社Honey At CEO/クリエイティブディレクター
17才にてサマーキャンプ事業売却や、NEW STANDARD社の新規事業室にてD2Cの立ち上げに関わるなど、様々なビジネスシーンを多数経験。現在は若者からウェルビーイングな未来を創造ことを目標に、2019年Honey Atを設立。

「ひとりよがり出版」とは

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ひとりよがり【独り善がり】《名ノナ》
自分だけで、よいと思い込み、他の人の考えを聞こうとしないこと。
独善(的

「ひとりよがり」は決してネガティブな意味だけではなく、ひととひとが共鳴し合う一つの鍵であるというポリシーの元、ひととその周りを、ひとりよがりな視点で雑誌にまとめる出版所です。
決まったタイトルや定期刊行を作らず、写真、文章、デザインまで、一つ一つをひとりで丁寧に雑誌に編み込んでいます。
今回は自分が興味のある人をひとりよがりな視点で紹介する雑誌となりましたが、今後様々なテーマや題材で制作していきますのでよろしければご支援のほどよろしくお願いします。

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