「 26歳 / 既婚 / お金と経験なし 」だけど、 もう一度自分を煮詰める暮らしがしたい。(前編)

20歳。
いろんな意見に耳を傾けて、心を費やして、
常に自分の答えを探してた。

世の中の「成功」から外れた自分の居場所が分からなかったから。
自分のこころと世の中が「うんうん」と頷く、正解みたいな居場所。

今、人前では絶対に話せないような恥ずかしいこともたくさんしてきた。
青くて、何が自分なのか分からなくて、
人の生き方をジャッジして、
身近な人を傷つけたりもした。

恋愛がらみの死んでも誰にも言えない経験も持ってる。

「こんなはずじゃない」と何度も自分自身も傷ついて、
自分の中に基準をつくっていくことができた。

必要な時間だった。
でも、すごく苦しかった。

26歳。
今、もがき続けた少しトンネルを潜り抜けて、
少しは素直でいられるようになって。
どこか気持ちは落ち着いてまあるくなった。

結婚して、毎日一緒にごはん食べる人ができて。
少しお金をもてて、
好きなものとお金を交換して
少しずつ好きなものに囲まれてきた。

社会ではどんな風に振舞ったら、
相手に好意を抱かれるのかもわかって、
自分も相手も気持ちよく感じられるような
振る舞いをできるようになってきた。

社会で「よし」とされることできるようになってきた自分に
酔ってしまっているような。

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長年の謎

「前向きでいること」
「自分軸で生きること」
「自分を大切にすること」
「頑張りすぎないこと」
「自分の機嫌を自分でとること」
「本当にやりたいこと」

高校生くらいから長年の謎だったことも
いつの間にか解明されてきた。
(今後また、解釈は変わっていくかもしれないけど)

でも、楽に生きられるようになった分、
なんとなく満たされている分、

言葉を失った気がする。
溢れる感情を失った気がする。
目の前にいるひととの会話を
その場であるべき「正解」へ持っていこうとしてしまう。
美しくあることだけを選んでしまっている気がする。

私を人間として豊にしてくれたであろうものたちを
失ってしまった気がする。

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全部ただの直感だけど。

どろくさいことも
尖ってる心も
かっこつかないことも

面倒くさいけど、
愛おしく思えるものだと思う。

目の前にいる相手の中にそれをみたとき、
私はそれを存分に受け入れるだけの器がないなあ
ってもどかしく感じる。

カメラを構えるとき、
「正解」だけを写そうとしてしまう。
構図の正解、光の当たり方の正解、カップル写真としての正解。

そこに私のきもちはのってなくて。

「それでいいのか」って
納得できない自分がいて。

「もっと自分基準の写真が撮りたい」と思うようになった。
「もっと目の前の人を想えるようになりたい」と思うようになった。

というわけで。
お金も専門知識や経験もないけど。
「もう一度、海外に一人で住もう」と思います。

後編へ続く。

サポートでいただいたものは、わたしが元気が無くなったり、PMSに負けそうになった時に自分をご機嫌にするために使います!