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マシーナリーとも子EX ~迫る水棲篇~

 涼しい部屋だった。
 地下に作られたその部屋は四方の壁を敷き詰めた岩で作り、出入り口は地上階からの螺旋階段を通すための穴ひとつだった。エアコンも据え付けられていない。だが不思議なことにその部屋は常に気持ちのいい風の流れが感じられ、湿気もなくカラッとしている。
 奥にある本棚に囲まれた机に、男が座っている。おそらく……男だ。体躯は問題なくヒューマノイドの典型的なバランスだった。2本の脚で立ち、腕と脚の長さはそう変わらない。胴が長すぎたりもしない。整った中華風のツーピースを身に付け、その凝った刺繍や腕時計からは彼がそれなりの資産を抱えていることを想像させる。変わっているのは頭部だ。人の頭の代わりに東洋の龍の頭がそこにはあった。龍は自分の小さな目が収まるくらいの小さなメガネをかけ、口にはキセルを咥えていた。
 龍はため息のようにフゥーッと紫煙を吹き出した。奇妙なことに煙は地下に滞留してその空気を澱ませることなく、ふわりと地上へと流されていった。

「ゲホッ」

 不運にもちょうどそのタイミングで地下に降りようとしている者がいた。丸いサングラス、首から伸びる円卓、そこから身体を包むポンチョのように全周囲に銃火器をぶら下げた奇妙な姿……。

「水縁…何のようだ」

 名前を呼ばれた奇妙な…女性はニッと歯を見せて笑った。シンギュラリティのサイボーグ、ターンテーブル水縁だ! いまは上野亜人商業組合に出向し、用心棒的存在として上野の秩序を保っている。

「何って、茶を買いに来たのに店主がいない、商品も出てないんじゃ心配するじゃないか、ゲキ」

 ゲキと呼ばれた龍人はふたたび煙管に葉を詰めて火をつける。

「今日は休みだ」
「なにか悩み事でもあるのかい?」
「豊洲の件を知ってるか」

 水緑は予想外に素早く返答が返ってきたので多少面食らった。

「豊洲だって?」

 動揺を悟られないためにオウム返しをして時間を稼ぐ。これでひと呼吸はできる。

「なんのことだかさっぱりだ」
「音信がおとといからぷっつり途絶えた」
「そりゃ…穏やかじゃないね」
「使いの者もよこした。だが市場までたどり着けないらしい」
「どういうこと?」
「わからん。ただ"たどり着けない"んだ。妨害されるとか、バリケードがあるとかそういう話じゃない。なぜか行くことができないんだ」
「……意味がわからないな」
「だろう? だから店を閉めて考えることにした」

 ゲキは自ら中国茶の店を経営しているが、ほかにも路上鮮魚店を数店所持していた。道すがらの観光客に豪快な売り込みで魚を買わせる上野の風物詩だ。品質は良かったり悪かったりだが、上野には欠かせない光景の一つだった。だが市場との連絡が途絶えては立ち行かない。

「…このところアンタの店だけじゃなくて鮮魚店や寿司屋がどんどん減ってる」
「そうだ。何かある。このあいだ魚から聞き出そうと思って俺の店に来たカツオにそれとなく聞いてみたがあからさまに機嫌を損ねてすぐに帰っていった」
「そういえば今日は朝から魚の姿を全然見ていないな」
「なにか感じとるものがあったのかもしれん」

 厄介なことになりそうだな、水縁はガシガシ頭をかいた。次にこう思った。自分は今の立場を続けられるだろうかと。

***

「むキィーッ!!」

 奇声をあげて上司がゴローンと寝転んだのでエアバースト吉村はコーヒーを吹き出した。

「なに、どーしたのゆずきさん」
「ダメだぁーっ! もうダメだよ吉村くん!」

 その巨大な手にはシンギュラリティ池袋支部の日報……。時空が歪み、時空間通信が不可能になった今となっては唯一過去から過去から現在に連絡を送る手段であるフォルダーが収まっていた。

「たか子さんからなんか言われたんスか?」
「もう私みたいな仕事はいらないんだよハハハハハ。笑ってくれよ吉村くんハハハハハハ」

 見ればドゥームズデイクロックゆずきは笑いながら号泣していた。情緒不安定にも程がある。

「こらダメだな。おーい前澤〜っ。土屋〜っ」
「前澤なら下で"仕事"中ですよォ」

 奥の会議室からパワーボンバー土屋があくびをしながら現れる。どうやら昼寝していたようだ。

「ああそうか。じゃあ土屋だけでいいか……。お前ゆずきさんの足持てや。私は手持つから」
「ホーイ」
「誘導するからついてきな。オイっ! ゆずきさんよ、あんまりジタバタすんな」
「ハハハハハハ! ハハハハハハ! もうダメだあ」

***

「……というわけでね、向こうでは現在進行形でガンガン歴史が書き変わってしまってるみたいなんだ。それっておかしいだろ? それくらい時空の歪みがおかしくなってるんだ。いや、このままでは捻り切れるのも時間の問題かもしれない。でもそれ以上にね、私はね、タイムマシン技師として時空の観測者として自分の仕事がもう無意味になってしまうかもしれないことが悲しいんだよ。わかるかい2機とも!?」

 それまではスプーンを口に運びながらポツポツとたか子からの法則を伝えていたゆずきだったが、フルーツクリームあんみつを食べ終えた瞬間ドッと言葉が溢れてきた。よほど無念なのか、その目にはふたたび涙が滲んでいた。

「土屋、わかるか?」
「わかんないですね〜。仕事なくなるなら楽になるんじゃないですか?」
「なんッッッで君たちはそう発想が怠惰なのかなぁ〜!」

 ゆずきはまた頭を抱えて突っ伏した。彼女の手はあまりに大きいため、その頭部が指に包まれて完全に見えなくなってよくわからない姿になっていることに吉村はおもしろみを覚えた。

「いいかい、私たちにとってこの仕事は誇りなんだよ! 徳を生み出す源のひとつでもある! 誇りを失うってのはなあ、それはそれは悲しいものなんだよ! わかりやすく言おう! 自慢できるものがひとつ減るようなもんなんだ! この悲しみがわかるかい?」
「うーん、まあそれならまあまあ…」

 吉村は例えば自分にとっての雀将なら近いのかな? と想像した。ちょっと悲しい気もするがその時はその時だよなあとも思った。

「例えばだ! 悪い方悪い方を想像すれば今後時空が元に戻らずタイムマシンも使えないようだったら私の給料も下がるかもしれない! いや……クビになるかも! もしかしたらだけどねえ!」
「それは…悲しいっスね」
「かわいそう」

 吉村と土屋はここに至ってようやく想像がついたようで眉をひそめた。それを見てようやくゆずきはある程度満足したようだった。

「いやね、わかってくれたならいいんだ…。実際私もそこまで悲観的ではないし…。さすがにクビはね……クビは……クビはないと思うけどなあ!? どうしよう、ものの例えで言ったらだんだん不安になってきたぞ」

 話しているうちにオロオロとし始めるゆずき。その前にお茶のおかわりが置かれた。持ってきたのはこの店の主人のソラン星人だ。

「はは…まあお客さん、温かいお茶でも飲んで落ち着いて」
「あ、ああすまない親父さん……。ふう、いいお茶だね」
「美味しいでしょう? 上野の茶店ゲキから仕入れてるんですよ。行ったことがなければオススメですよ」
「上野か…。土屋はこの間行ったんだったね?」
「オモシロイとこでしたよ〜。その店は行かなかったケド」

 客足も落ち着いたのか、店主は3本ある脚をジグザグに折りたたみ、腰を下ろした。ソラン星人がくつろぐ際にとる姿勢だ。水色の体表が少し透明度を増した。

「でもね…気持ちはわかりますよ。私もね、前の仕事クビになっちゃってね」
「へえ! そうなのかい」
「私たちは1960年台からしばしば地球に来てたんです。2000年までに地球を侵略しようと思ってね。でも当時の地球はとにかく環境が悪くてねえ」
「環境が悪い星を、どうして侵略しようとしたんだい」
「ほかに候補がなかったんですよ。母星は隕石で砕けちゃったし、なかなか我々の生存環境に合う星や、我々より文明レベルが低い星が見つからなくてね。その点地球は問題なかった。だから最初はね、地球人見つけても襲い掛からないでコミュニケーション取ってたんですよ。やれゴミは分別しろとか、化石燃料はやめろとかそういう感じのをね」
「ああ、啓蒙タイプの接近遭遇してたんだねえ」
「でもなかなか地球人って聞き分けが悪くてねえ。そこにさ、ちょくちょくお客さんたちみたいなサイボーグが現れてバンバン人類を殺しちゃうじゃない?」
「あ……」

 そういうことか、とゆずきは少し気まずい思いをした。この宇宙人は我々のせいで職を失ったんだ。

「すまないご主人。それは…私たちシンギュラリティの影響ということだね」
「いえいえ、それはいいんです。仕方のないことです。私が言いたいことはそんなことじゃなくてね…。そんなこんなで私らのやってることはまどろっこしいということで、本部から見捨てられちゃったんですよ。補給も来なくなりました」
「それは…気の毒に。こんな遠い星で」
「でもね、今はこうして池袋で和菓子屋出してお客さんに喜んでもらってる。これって結構悪くないと思うんですよ。考えてみたら新しい星で暮らしていくって目標は個人レベルでは達成できてますからね」
「ははぁー、確かに! うまいことやったなオヤジ!」
「こら吉村くん! 君、言い方ってもんがだね…」
「いいんですいいんです! 吉村さんには普段ご贔屓にしてもらってますから…。ですから私が言いたいのはですね上司さん。自分の生活がひっくり返るようなことがあってもそんな悲観的になるこたないってことですよ」
「なるほどね…。いや、励まされたよご主人。ありがとう」

***

 池袋山本ビルディング……シンギュラリティ池袋支部が入居しているビル、その1F。ダークフォース前澤が経営するバウムクーヘン店……。
 こちらもようやく客足が落ち着き、ひと段落しているところだった。今日はこの辺にして店じまいしようか。前澤がそんなことを考えながらドッカリと椅子に座り込み、ドリンクのチューブを口にしたそのとき。

「悪いね、1本いただけるかい?」
「あっ、はいただいま……。アレッ!? あなたは……」

 そこに立っていたのは丸いサングラスに首から伸びる円卓、ポンチョの如く銃火器を備えたサイボーグ……。ターンテーブル水縁!

「久しぶり…ってほどでもないかダークフォース。ちょっと上、連れてってもらえない?」

***

読んだ人は気が向いたら「100円くらいの価値はあったな」「この1000円で昼飯でも食いな」てきにおひねりをくれるとよろこびます