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オンライン授業の“必要なこと”を考える#1

序章では、私が取り組んでいるオンライン授業についてきっかけとその背景を簡単に述べていたが実に言うと2つの側面がある。

1、大学生としてコロナかの影響で対面授業が出来ず、オンライン形式で受講しながら履修していること
2、仕事として生徒を引き受けてその児童生徒の実態を把握した上で適切な指導内容をオンラインを通して分かりやすく提供する立場にあること

の2通りを同時並行しながら、生活している私の日常である。2020年からこの1年近くで大きく変わったところだ。もし現場で働き続けていたとしたら、3つ目になっていたかもしれない。実に『オンライン授業』という概念は新しい時代における学校教育の在り方であり、最も向き合わなければならない時期となっていると痛感している。

一方できこえる人とは違う、きこえない障がい者ならの困難なことがある。視覚的にわかりやすい動画があるので、こちらを参考としたい。

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【あなたの周りに聞こえない人はいますか?】コロナで独りぼっちのろう児・難聴児に繋がりと学びの”場”を届けたい。(YouTubeより引用)

この動画内で伝えられているようにマスク着用で困っていることの悩みはある。透明マスクをつけることも良いが、一番の問題は口の形を読み取れずにして、授業が出来るのかといった意思疎通の困難さであることがオンライン授業では一番、深刻な課題が浮き上がるのである。

 まず大学生として苦労した経緯があることは、先日の投稿「オンラインを考える」でも執筆した内容と重複するので、割愛する。気になる方は、そちらを読んで頂きたい。タイトルにある【“必要なこと”を考える】という柱をこれから重視していくので、別の内容を記述する。

 きこえる人はワイヤレスイヤホンがあれば、周りの視線を気にせずに自分で聞き取りながら受講できる集中力が作れるという良い面がある。だから個室であれば、どこでも気楽にオンライン授業を受けられる環境であるわけだ。
 しかしきこえない私はどうだろうか。まず、音声認識アプリを活用するためにあえて音量を高くしてそこから聞き取っていくための環境整備がまず前提になるわけだ。この準備をすることに気遣ってしまい、自宅外で受けることは出来ないところがきこえる人との精神面の小さな差である。

いつでもどこでも受けられるという公平さを考えた時、音を出すといった利点がきこえない私たちにとっっては、かなり不利なデメリットを作っているところがオンラインでの課題の一つである。音声認識を使ってもらうためには相手の理解も得なければならないし、かつ環境によっては自分がマイクを近づけるために音量を上げなければ正確な読み取りが出来ず、誤字認識があって内容を十分に理解することが出来ない恐れがある。

 手話通訳を配置してワイプ画面で情報保障をするということも現状ではかなり厳しいところだ。常にワイプ画面で情報保障をしてもらえるようにお願いすることは大事だか、用意するのは大学側であってそこに余裕があるかどうか。また理解してもらえるかどうかが今後の課題である。合理的配慮の義務とはいえ、努力次第なのでまだまだ公平さを均等にする社会は遠いことだろうと考える。GIGAスクール構想はその点のことをしっかり配慮してもらいたいところである。のが私の思いだか、残念ながらその点については全然見えないところであることを知ってもらいたい。