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オンライン授業の"必要なこと"を考える#6

今回は、今までの執筆傾向と異なって、あるイベントに参加して傍聴した感想を交ぜて伝えていきたい内容を紹介する。あるイベントとは、昨年(2020年)11月に行われた第16回日本聴覚障害学生高等教育支援シンポジウムである。大学生時代、そして教職員勤務時代もよく参加していた例年恒例のシンポジウムであるが今回コロナ禍を踏まえ、初のオンライン開催となったことで久しぶりに参加した。その中で感じたことを2点取り扱っていきたい。

1、ユニバーサルな授業づくりという視点について考える

 これは、まず指導側の立場で作る環境整備の話になる。現在、児童3名に対してことばの学習をオンライン上で取り組んでいる仕事をしている。この取り組みは、色々と模索しながら分かりやすい授業を提供することを常に考えていくことなので個人的なルールがある。でも大学、また学校としては組織として共有して取り組む必要があるわけでありこの中で必要な知識・技術的なものは非常に参考になるものがある。

・「オンライン授業」は個々のニーズそのものを支援するのではなく、試行錯誤を通して新しい「授業実践」の在り方に気付かされること
・対面授業と同等の《学びの場》を提供できるか。という視点に留意して、授業準備が評価されること。(受ける側の受講状況の環境はみんな一定ではないことを意識し、多様な在り方を作る負担を考える。)

 これはなぜか。というときに、まず教える側というより受ける側がきちんと学習できることが一番大事なポイントなので、これがきこえる人の視点ではなくて「きこえない」そのものの障がいのニーズを正しく理解しておくことが前提でなければならない。これは私自身が通信教育を受ける学生の立場として経験しながら、感じたことを逆に教える側の立場になって実践して作ろうとしている最中である。

<前提>は太字とする。第16回日本聴覚障害学生シンポジウム報告書より「資料②(藤野氏)」を引用した。その上で、私が取り組むオンライン授業での心構えとして書き加えておいている。

・聴覚障がいを持つ学生は多様にあること               ⇨高等教育機関だけではなく、義務教育であるろう学校のオンライン授業でも同じ。人工内耳の増加も関与している。私は、一括りとして考えたとき「きこえない」という障がいを持つ学ぶ人全般に当てはまるんだと見ている。

・支援という在り方は補聴支援と情報保障だけでは不十分。       ⇨人工内耳の増加や家庭環境によっては、手話・指文字を知らずにしてことばの習得が難しいという発達段階が異なる児童生徒が学ぶに対し、情報保障が整えていることは《学びの場》として一致されない面があることに留意しなければならないと見ている。

・個々の聴覚障がい学生には教育背景や心理面、認知特性に対する理解が必要                                 ⇨これは「話の内容理解」にそれぞれの違いが起こる。小さい頃からのことばの獲得環境がとても重要になる。ことばの獲得にあるニーズそのものの認知負荷が重いと内容についての分析も弱い。またパラ言語情報が得られないと誤解を受けやすいという課題もあることに留意しなければならないと見ている。

 小中学生には自分から内容をもっと知りたいという要望を自ら要望するというエンパワーメントにはまだまだ自覚しにくい。そのため、義務教育段階においては教職員(教える側)の教育環境の整備そのものに気をつけなければならないことが新しい負担となってくる。一人で抱え込まず、組織全体で一つの方向性をしっかり共有して整備していかなければ、正しい評価という到達点は異なるだろうと注目している。1対1の授業は対面授業と同じやりやすいことは多い。しかし1対複数だとどうなるのか。ということも今後、慎重に配りながらみんな平等に学ぶ場が共有されることが教職員に求められる新たな専門性である。

この新たな専門性を身につける機会が乏しいために文科省が最近動いている情報がある。以下、このような取り組みが良いかどうかは触れないでおく。

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2、聴覚障がい学生の視点で考えるオンライン授業の在り方とは何か。

まず見て欲しいのは、文部科学省HPより以下の内容が示されている。

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ここで私の持つ聴覚障がいの部分に照らすと【音声、文字、手話、指文字等おを活用した意思の相互伝達の充実】というキーワードがある。しかし、オンライン授業では、こう考える。

音声→×(その代わりに音声認識として文字化されていく機能がある。)
文字→△(100%文字化することは不可能。必要最低限の情報を明示するだけで、ニュアンス的な感情などが理解しにくい面がある。)
手話、指文字→◯(視覚で分かる言葉として伝達することは可能。ただし、これを受け止める側が手話、指文字を理解している前提でないと通じないことがある。きこえない人の中には手話、指文字が分からないこともあるため良い手段であるとは限らない。)

という風に視点を変えてみると、このように推察できる。つまり、自立と社会参加に向けた教育の充実を挙げる文章そのものを大いに受け止めてはいけないことに教職員、関わる人たちには気付くことが大事であると言いたい。残念ながら少なからず、気付いていない人が多く充実したという満足という評価には断定できないというのが私の感じる課題である。

 また電波(WiFi環境によっては、画面が止まったりというトラブルが多少発生する。同時に音声は聞こえるため話が切れることはない。手話、指文字だと話が切れてしまうことが発生するというわけである。このデメリットについても留意しなければならない。音声情報を文字化するという方法は色々とある。

1、UDトークを使って別画面から表示して目視できる方法
2、PC内にインストールされている音声認識機能を使って表示される方法
3、パワーポイントの音声認識機能を活用してスライド表示される方法

など技術がどんどん変わっていることが増えてきたが、どれが一番有効な手段なのかは、授業の内容や話し手の使い方、受ける側の環境に応じて合わせることになるため、正解の方法があるというものはない。でも重要なのは、きこえない学生自身の立場になって、音声情報を確実に理解するようにしなければならないということである。教える側が内容を伝えるというのは、受ける側(児童生徒)の理解がうまく伝達できなかったら、授業そのものが成立できないということ。これがとても大事なポイントではないだろうか。

 つまり、授業内容を学習するための環境整備というのはコロナ禍によって大きく変わった一方で正直いうと、聴覚障がい者にとってとても大変な不便さを強いられているということになるわけである。きこえる人は、ヘッドオンを付ければ単に音声情報が耳に入り、下を向いたりしてノートに書き込むこともできるだろう。

でもそれもきこえない人には難しい。目で見て理解しなければならなく、画面に集中できる環境でなければならない。となると心理的負担は、微妙に差が違うのだ。画面に集中できる環境そのものにどのようにして整えていくのかがこれからの新しい求められるオンライン授業の在り方であると考え、私は現在取り組んでいるオンライン授業の実践を通していくつか工夫してきたことを今後執筆する。