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助詞の重要性に気付くこと

私がいつもオンライン授業で心掛けていることを一つお話ししたい。とはいえ、日本語について考える内容になるが実に言うときこえない子どもが学ぶことは苦手であることが多い。また教育者として、指導する側にとっても難しいというのが日本語による言語指導であることはみんな同じことを意識している。

 言い方を変えれば、きこえない子どもに日本語を教えるというのは外国人が日本に来た時に教えるのと同じことである。同じ日本人なのになぜ外国人と同じなのか。初めて疑問をもつきこえる人がたくさんいるだろう。今回は、その点から簡単にお話しして、少しずつ何度か触れていきたいと思う。先日の投稿「手話言語と日本語について考える」にも一つの実践例として指導していることも合わせて読んで頂ければ幸いである。

外国人と同じようにきこえない子どもに日本語を教えるというのは、一言でいえば言語指導というより、第一言語習得ではなく、第二言語習得だからである。きこえない子どもには音がきこえない。つまり、生まれながらにして自然に日本語を身に付けることは難しい。そのために手話言語が必要であれば視覚言語として先に覚えていくとすると、日本語というのは第二言語になるわけである。また日本語をよく使うとすれば日常的に身につける年齢というのは、早くて3~4歳からなのでときこえる子どもと比べて遅い方である。(きこえる子は早くて1歳半から喃語を通して、日本語が自然に耳に入ってきたままで発語することが始まりだという。)

 というわけで、耳に入ってくる言語が日本語であるという視点でみると外国人と同じスタートに立っている状況なので、指導するということはやっぱり外国人と同じように考えて日本語を覚えさせるということがポイントになるわけである。手話言語が授業に導入する前までは、聴覚口話法による指導が根強く厳しかったため、発語指導を繰り返していたという苦い記憶がある私である。(発語指導の苦労話は、後日に詳しく記述する予定)

タイトルの通り、「助詞」の重要性というのは今、オンライン授業をするたびに意識していることである。手話言語で話すことは成り立っていても書記言語にしようとすると必ず気付くことがあるのが1つある。それは、「で・を・に・は・が」といった助詞が抜けてしまっていることである。

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実際にあるオンライン授業をしている中で起きた例文を紹介する。(画像は授業の一場面である)

「どの服するか迷っているが、この服決めた。」

 ある生徒は、普段の生活の場面で使われるこのような例文を発表した。パッと見れば、言いたいことは理解できるかもしれない。出かける時に服を選ぶところで迷っていることを伝えたいんだということが分かる。しかし、書記日本語で説明するわけなので、これでは惜しい回答になる。

「どの服≪に≫するべきか。迷っているが、この服≪に≫決めた。」

このように助詞「に」を付けることで正しく言いたいことが伝わる日本語の文章になる。ということを指導することが言語(日本語)指導というわけである。他にもこのような例文がある。

「友達へ本返せる。」

 ある生徒が授業で可能形を学んだことを手話で表現しようとしているところで、発表した文章である。パッと見れば、なんとなく言いたいことは伝わるし、手話だったら助詞は見えないけれど、相手の方に向けて表現している動作をするわけである。≪返せる≫という手話表現は「返す+PT1(指す)」といったことがイメージ多いだろう。

でも書記日本語だと、物足りないわけである。ある生徒の回答は間違いとは言わないけれど、日本語として違和感があるのだ。「へ」の使い方が誤用な例で、正しくは「に」を付けると良い。

「友達≪に≫本≪を≫返せる」 または「友達に本を返すことができる」

 つまり、助詞が抜けるという略語みたいな感じになる。主語がどこにあるのかによって、伝え方も変わるので【~「に」~を~+動詞】という基本文型をきちんと学習してから応用的に理解するという繰り返しが必要という。だから私は、その基本文型として以下の点を繰り返し授業で問題を出しながら一つ一つ確認する授業を進めているところである。

「は」~「を」  「が」~「を」  「が」~「を」~「に」    「に」~「を」  「を」~「が」  「に」~「で」~「を」

この基本文型以外にも色々と細かなところは多いが、日常的生活ではこのような使い方が多いので、そこを留意しつつ生活場面を想定した会話で正しく身に付けるようにすることがとても大事だと考える。

 ろう学校では、幼稚部のときから始まるわけだか幼稚部の子に書記日本語を繰り返し実践するのは難しい。とすれば、実際に始まるのは小学生になってからになる。小学低学年の授業の中で指導する教員に対しては、手話言語をぜひ活用しつつ、同時に小さな気付きもしっかり見てあげるようにしてほしいと願っている。手話言語と日本語には微妙な違いがあり、きこえる人には気付かない間違いを放置しては、明らかにやってはいけないということが、ろう学校教員ならの高い専門性であると私は考える。そこは国語の専門ある教員がサブとして補助なり、そして手話言語なら聴覚障がい教職員がしっかり見てあげるなどの連携も今後重要となるだろう。この点は、文部科学省にも理解して重視しておくことで、教育委員会への指導を図って欲しいと思っている。現時点ではろう当事者でなければならないことで、独自に取り組んでいる場所は各地それぞれ実践している例が多いが、日本(国として学習指導要領を示す中に)はまだまだ厳しいだろう。

 私が日本語をどのようにして学習し身に付けてきたのか。そして大学でもレポートなどでどのように考えてまとめてきたのか。という経験談については、後日に振り返って伝えていきたい。今回は、教育者としてこのような経験をしたことをみなさんにもぜひ考えてもらうきっかけになればと思っている。