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双極本の企画がボツになった話(4年ぶり2度目)


22年冬、双極はたらくラボのお問い合わせフォームから一通の連絡があった。

「松浦さまがまとめていらっしゃる、落ち着いて自分らしく働く方法を仕事術として書籍にしたく、ご相談させていただくことは可能でしょうか」

「松浦さまの知見で、双極性障害の当事者の方が働きやすい方法を伝えることはもちろん、気分の浮き沈みが激しく悩んでいる、ビジネスパーソンにも役立つ本にできますと幸いです」

それは、主にビジネス系の書籍を扱ってる出版社の方で、私を知ったきっかけは神戸新聞さんに掲載されたこの記事だったらしい。



実は、双極性障害に関する執筆依頼は4年前にも1度あった。

その時はまだ、双極はたらくラボが出来る前。

自社が運営するラボとは別のメディアに「松浦さんの双極ライフ」という漫画を連載中のときのこと。

その連載を見た、健康や教育系の書籍に強みのある出版社さんから「この双極ライフの話数を増やしてコミックエッセイとして書籍化しませんか」と言われた。

正直、1エピソードに2ヶ月近くかけて形にしてたので本にするには途方もない労力がかかるし、私は当時、支援員としてフルタイム勤務なので現実的ではなくお断りをした(なので1度目の出版は、正確にはこちらがボツにした話)


22年の冬に話を戻す。

2度目の出版打診は1回目と違う可能性を感じた。

というのは、双極性障害に関する本は、うつ病に関する本よりは少ないにせよ、年々出版されている。

研究者や精神科医の先生による専門書もあれぱ、当事者の方による闘病記やコミックエッセイもある。

出版もビジネスなので、売れる見込みがないと本にならないし、過去の類書を出しても埋もれてしまう。

そういう背景をふまえた時に、ビジネス系の出版社から双極性障害と関連する本が出ることは前例がないし(自分調べ) 、そのチャンスがもらえるなら書きたいと思えた。

オファーをいただいてからすぐ、担当さんとZoomで打ち合わせをした。

「まだ出版の可能性がある、の段階。ここから一緒に企画を詰めて会議を通過すれば正式に執筆になる」

「(無名の私に声掛けした理由を聞くと)
松浦さんの自分史をまとめたnoteもみた。これだけの文書を書けるなら執筆となっても大丈夫だろうと思った。

あとは、著書が多いから良い本が書けるとも限らない」

など、今回の依頼の背景や出版会の事情など色々聞け、担当さんの熱意も感じ、私は企画を通すことに力を注ごうと決めた。

最近のビジネス書の売れ筋として「内向型」が1つのキーワードであり、私のケースに当てはめれば「穏やかに生きる」ための工夫的なものをまとめよう、という方向性にきまった。

そこからひたすら「双極性障害と私」について

①仕事
②生活
③お金
④その他

の4カテゴリーに分けて工夫のキーワードを書き出す。

過去のツイートやnoteも参考に、ひたすら。 

そして集めたキーワード1つ1つに、3〜400文字くらいの説明文をいれて肉付けをする。

加えて、担当さんの視点で分かりにくい部分に対して質問を入れてもらい、私はさらに書き砕く。

そんなこんなのやりとりを5ヶ月するころには、企画書は2万字を超え、私としても企画段階でこれ以上は出せないなぁというレベルになっていた。

ある日を境に、出版に向けての潮目が変わった。

担当さんとのやりとりに違和感を思ったのは23年のゴールデウィーク前頃。

企画に対する追記依頼に私が対応し、いつもなら1週間経たずに返答がもらえるのに、今回は音沙汰がない。

5月も中盤になり、確認のメッセージを送っても「 デスクと検討中ですので」 という反応。

そして案の定、6月上旬に届いたのは「今回の企画は進めていくことが難しと判断しました」から始まる、ごめんなさいメッセージ。

正直、「なんだよ、今までの苦労は!!」と思ったのは事実。

実際、それだけ頑張った。

文書を書くのはそこまで得意じゃないから、喋り言葉を録音して文字起こしして、みたいなことまでしたりもしたし。

でも、大変ではあったけど、2万字の企画書は手元に残り、これはこれで今後いくらでも活用の余地はある。

むしろ、担当さんと一緒に向き合わないと今時点の私の「 穏やかに生きる技術」なんてものをまとめようとも思わなかった。


担当さんに感謝をして、この企画書が何かしらの形で世に出せるよう、無理ないペースで進める。

Kindle出版は最終手段として持ちつつ、商業出版の可能性を探ってみる。


そんな、出版残念でしたの記録でした🫡

最後までご覧いただき、ありがとうございます。