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全18回/双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方

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双極性障害を発症した大学4年から、うつ・躁うつ等の方々を支援する職について7年目までの14年間を記した自分史。
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双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第7回(25歳:人生はじめての休職と復職と…)

〜25歳(2008年3月)〜今回の転職時、マイナスと思う部分は伝えなかった。つまり、うつ病ということを隠しての入社でした。 (バレないようにしたい。うつの症状は出てくれるな。) そう願い、後ろめたさを抱え続けながら働いていたため、会社にいけなくなった日には、「遂にこの日が来てしまった」という心境でした。 多くの中小企業と同様、この会社でも休職者対応のノウハウがあるわけではなく、一定期間休んで、戻ってきたら以前の勤務時間で業務を再開するものだ、と認識されていました。

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第8回(26歳:軽躁の勢いで再び都のベンチャー企業へ)

〜26歳(2009年1月)〜 「で、いつ来れますか?」 (本当にこういうのってあるんだなぁ。東京って凄いなぁ。) 私はもともとテレビっ子。 生まれは島根県で、昔からテレビの中に見る都会への憧れと偏見が強かった。 「いつ来れます?」という言葉に、東京感というか、何となく凄いと感じていました。 (私を必要としてくれる所があるなら行きたい。ソーシャルビジネスという分野の可能性を感じるし、こんなメンバーと一緒に、やる気に満ちた環境でやってみたい) 「ぜひ、お願いします!

双極性障害の勤めびと。たどり着いた自分らしい働き方 第12回(29歳:失った自信を取り戻す日々)

〜29歳(2012年2月)〜 利用者からスタッフに。それは大きな転換でした。 高田馬場センターの入居するビル サービスに対してお金を払う側だったので、お金をもらう側になることで、社会に自分の何かを提供できている、働けるありがたみをまずは実感しました。 分かりやすい形で実感したのは、会社のプレスリリースに広報担当として名前を明記できたこと。 研修のときは名前を出さずに広報をしてきたので、2012年2月1日のリリース「Facebook公式ページ運営開始のお知らせ」は自分に