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小心地滑日記〈しょうしんじすべりにっき〉 香港旅行編 ~46歳からの海外旅行~「深夜、深水埗のホテルに着いた」


#創作大賞2024

 香港に行くとそこかしこに「小心地滑」と書かれている。もちろん「小心者だと地滑りします」という意味ではない。小心は注意=cautionの意味で「地滑り注意」ということである。わかってはいるが「小心地滑」の看板等を見るにつけ――「あなた小心な人ね」と言われているようで、なんだかいやな感じがしたものだ。
 今回の旅行はまさに日本出身の自分のスケールが小さいかという部分との邂逅でもあった。というわけで「小心地滑日記」のタイトルはここからとった。中国語的につけると「小心地滑的日記」かとも思ったが、言いやすさで前者とした。

 飛行機がなんとなくいやで、特に海外に行くつもりもなく、国内でさえあまり旅行したこともなく、アレルギー体質だったり車に酔いやすかったり風邪をひきやすかったり買い物で店員と話すのがあまり得意じゃなかったり日常英会話を実際にやったことがなかったり緊張するとおしっこが異常に近かったりする人間が……40歳半ばを過ぎて自分から海外に行こうとすることはまずない。「成り行き」といえばその通りだが、同じように成り行きでも中高年でも海外旅行に行くことをいつかは経験することになるかもしれない人に向かってとりあえずは書いてみたいと思って書き出すことにした。実はもう2年以上たっている。だから忘れていたり、勘違いもあるはずだし、現在形で書くこともどうかとは思ったが……現地で書きとめた絵日記をまずそのまま書きなおした。メモ程度だったが、それが今読んでもおもしろいのでそれを基本そのまま清書したのが本作と思っていただきたい。

 「成り行き」としか言いようがない初めての海外旅行を終えて今思い出すと……それは「こわかった」ということかもしれない。
 何がこわかったというほどのこわさはなかったのだが……滞在期間中はたとえて言えば、どこににも掴まるところがないプールで泳いでいるような心細さが常にあった。
 
 言葉はがんばらないと通じないし、宿はあっても何かのたびにほぼ広東語しか通じない従業員や日本語がぜんぜんわからないフロントに行かなければならなかった(滞在中、部屋の内線では余計通じないので、なにかがあるといちいちメモ用紙と筆記具を常に持ってフロントに何回も行っていたのです)。
 とはいえ、滞在していたホテルのスタッフは親切、部屋も22階で眺めよし。毎日1回だけベッドメイクの女性がタオル交換に来る機会以外は部屋にずっといたっていいわけだ。逆に言えばがんばればなんとか言葉も通じるわけで……ほぼ日本と変わらずに過ごすことができたにもかかわらず……やはり日本での時間とはかなり違っていて消耗しつづけたのだった。

 日本の情報は当初遮断して、日常から脱却するぐらいの意気込みだったにもかかわらず、相当意欲的でいなければ日本の情報はまるで手に入らない状況に日本の情報を恋しくおもった。ホテルのテレビは壊れていた。面倒がいやだったので直してもらうこともしなかった。パソコンも持ってこなかったので、オクサンとの会話以外で日本語はほとんど耳にすることがなかった。宿泊した場所は地下鉄深水●駅と南昌駅の間にあったが、そこは一般的な日本人旅行者があまりいないような場所で、日本人にはもちろん出会うことはなかった。
 いや日本人というより外国人観光客はあまりいなかったと記憶するが、滞在を終える頃はなんだか諦めたような異国人という境遇にはまりこんでいた。深水●駅近くのテイクアウト専門の抜群にうまい点心の店の隣店の老人が流暢な日本語を喋り驚いたことがあったが――初めに「韓国人かと思った」といわれた。つまりあのあたりには日本人の観光客は――しかも一応新婚旅行に来ている日本人はほとんどいなかったのかもしれない。それはたいへん心細い感じで……日本に来た中国人留学生たちの気持ちが少しわかったような気になったものだ。

 ぼくはいわゆるバックパッカーのような旅慣れた人間でもなければ、気が利いた旅行ができるような人間でもない……海外旅行ドシロウトである。46歳まで海外旅行どころか国内線の飛行機すら乗ったことのない、どちらかと言えばこのまま日本しか知らずに死んでいけるたぐいの人間であった。

 過去形にしたが、今後再び海外に行かないまま終わっても後悔はそんなにしないかもしれない。さすれば自己の海外旅行の志を測るとすれば、ボクのそれはいかにも低かろうというものだ。
 
 世には様々な旅行記はあふれていて、おもしろかったり珍奇だったりで目を引くものも多い。ボクのように「遅れた新婚旅行」のほかに特別な目的がなく、46歳で初めて香港に行って、ありきたりなカルチャーショックを受けたり、言葉が通じない経験をした程度の普通の旅行記を書いたところで関心を持つような人間が多くいるとは思わない。
 しかし、今回海外旅行というものを経験してみて、これはなかなかのイベントだということを痛感した。たとえ地味に小心に生きてる人間だろうが感受性がおおざっぱな人間だろうが、それなりの変化をもたらすことには代わりがない。だからそれなりの海外旅行記を書きたいと思ったわけです。 

2010年1月23日土曜日
13:20京成上野駅→14:00成田空港着

  13時20分に上野。京成線で成田へ。14時30分には空港で手続きを済ませる。その後の18時15分のチェックインの4時間以上前に着いている。二人とも心配性なので「先手必勝」が合言葉だ。これは待乳山聖天で妻がひいたオミクジのナイスな四字熟語である。
 夫婦ともに心配性なので早めの数時間前行動にでる。二人ははやい。ふっふっふっ。これは帰国まで変わらぬ二人のアーチチュードとなった。なにせ46歳夫は初めての海外である。オクサンは一応4回目(香港は3回目)だが。

  うっかり(過失)万歩計を忘れてしまった。せっかくの海外旅行なので売店で買う許しがオクサンからでる。酔うことも考えてトラベルミンなど買う。正露丸、チョコラBBドリンクとヘパリーゼなんとかも買う。ビタミンCの飴やグミなんかも買っておく。たぶん向こうでは欲しい物がみつからない可能性もある。

 疲れているのでマッサージ機へ。オクサンはタバコでボクは200円10分のマッサージ。むふふ。すばらしい感じ。もみ方にいちいち名称がついていて笑える。「腰極もみ」「ローリングさざなみ」というのが気に入る。「極」は「ごく」なのか「きょく」なのか、さては「きわ」なのか、「きわ」だったらいいなあ。へへへ。400円使う。オクサンはやらず。
 緊張しつつ1時間前に乗り場へチェックイン。大学の研修旅行でさえ、飛行機を断って電車で現地集合参加したボクが飛行機で海外に行くとは感慨深し。昨年の結納で飛行機往復していたのでそんなに怖くなくなってはいたけれどね。
 白人客が遅刻したせいで19時出発。外タレなみにハッピーで罪悪感なしな感じ。こういう出足というのは先行きに影響がでるものだ。不安な感じあり。

 デルタ航空機上で映画。夜なので夜景以外見えず残念。外が見えないので、マイケル・ジャクソンの遺作映画を二人で同時にみる。おもしろい。この人の曲はあんまり好きでないが、動きと一緒だとずいぶんよい。得した感じ。リモコンの扱い方がよくわからないので四苦八苦したがなんとか理解する。地図と現在位置の画面を飽きずにみる。深夜の台風情報的無機質感が心地よし。

 香港には時差入れて23時すぎに着いた。チェックインが22時までなので日本を出る前に翻訳ソフトを使ってホテルに遅れる旨をメールしておいたが……やはり不安であった。

 入国審査前にオクサンと喧嘩。犬も食わない成田前離婚の危機か。ボクがホテルチェックインのときに伝える英文を用意していなかったことに怒りだしたのだ。何とかなると思ってのんびりしている態度が気に食わなかったらしい。確かにその後、自分の海外旅行への認識の甘さを思い知ることにはなったが、怒られてボクはたいへん悲しかった。

 機外に出て入国審査へ。オクサンは不機嫌さと興奮でテンションが高く怖い。入国審査後に荷物を受け取るという手順を知らなかったので「荷物がない」的勘違いパニックで案内所の人に訊く。当然日本人じゃないので英語。言葉が出てこない。単語すらでぬ。あたま内真っ白でわからん。オクサンは完全にボクを信用しなくなっていて、夫婦別々に訊いたりしてとてもちぐはぐ。悲しくて悔しいがどうにもならん。文で書かないと全くといっていいぐらい通じなかった。その後どうやってその場を切り抜け、荷物を受け取って場外へ出たのかは……なんだかどうにも思い出せない。しかし、飛行機って、あんないいかげんな荷物の渡され方はないと思う。宇宙旅行の時代になってもあんな渡され方してたらいやだ…いや、ちょっとおもしろいか……とにかく、もっとよい方法はないものかとボクは感じた。
 
 
とにかく生まれて初めての海外、香港に着いた。MTR(地下鉄)がまだ動いているのでオクトパスカードというパスモ的なプリペードカードを買う。上野で少額を両替してきたので、問題はなかったがいちいち日本円に換算しないとまだ安いのか高いのかがわからない。次回の旅行は一覧表を作っていくことにしよう。2000香港ドル(当時1香港ドル=中国元=11~12円、このときのレートでは約11.8円)ずつ買う。800香港ドル手数料でとられた。カード返却時に手数料は全額返ってくるという。

 機場駅から機場快線の青衣駅電話乗り換えて東涌線で南昌まで乗る。車内は新しいし、駅もホームも広くて都会的だ。なんとなく日本の新しめの地下鉄に似ている。しかし、なんだか車内は緊張感が強い気がした。目の光が強く、野性が死んでいない感じだ。

 今夜から2月6日までオリンピックテラススイートというホテルに泊まる。香港の一般的なガイドでは南昌周辺の地図が載ってないのでプリントアウトした地図をオクサンが糊付けして作ってくれた。

 オクサンのことについていうと、彼女はものすごく方向音痴で物忘れが激しい、本来のんびりした人間だ。しかし穏やかにすぎる生まれつきの性格ではもたもたしてしまうので、後天的に教育を含め自分にむち打ってがんばってきた人間だ。ゆえに事前の準備にはうるさい。ただし努力さえしていれば怒られはしない。なまけているのが嫌いなだけなのだが、怒ると激しいので注意と忍耐がいる。怒ったついでに訳の分からないストレスも一緒に発散されて降ってくるので時にボクは悲しい。

 彼女は香港が3回目だと書いたが、3回目でしかも前回は3週間もユースホステルに滞在しているにもかかわらず、びっくりするぐらい香港のことは詳しくない。なまじ中途半端に知っているのでかえって困るというものだ。

 南昌駅には24時ぐらいに着いただろうか。青衣からふた駅なので正味30分かからなかった。しかし深夜である。たどり着けるか不安だ。タクシーを考えたが言葉が通じないし評判があまりよくないと聞いたので歩くことにする。
 やたらに無駄に広い近代的な豪華地下通路を通って地上に出ると外は真っ暗。気温は真冬の日本よりは暖かかったはずだが、離婚の危機やら不安やらで思い出せない。少し南国の雰囲気は感じたかもしれないが。
 南昌一帯は埋め立て地のニュータウンであるせいか、道路が広く分かりやすい地形。それが幸いして目標のホテルらしきビルがすぐにわかる。しかしかさばるし重い旅行バッグもありでなかなか前に進まない。
 通りは車が少なかったので危険はなかったが、しかし歩行者用信号はどうしてあんなに青の時間が短いのだろうか。香港旅行経験者ならご存じであろうが、歩行者用信号の青が点灯しているときに聞こえる例の機械音が、ものすごく人を急がせる感じなのである。中国じゅうがあの機械音なのかもしれないが、やたらに気が短い音である。いまでも、あの音を聞くと香港の映像が浮かぶ。

 大きな公園に沿って歩くと市場に出る。不気味である。よく見ると建物の中に野菜らしきものがみえるが、夜は当然やっていないので電灯も少なくたいへんに怖い。歩いていてこの土地から受けるエネルギーが日本より強いように感じる。怖いぐらいだ。通行人は少ないが、香港という大地の野性が休んでいないといったおもむき。

 ホテル沿いの店が並ぶ道路に出ると、道路脇のビルのぼろさと歩道の汚さにびびる。路上に段ボールや機械の部品なんかが散らばっている。撒いてある汚い水のせいでキャスターの意味なく横にして旅行鞄を抱えて歩く。買ったばかりなので汚したくはなかった。街は工場街というのか、この時間はシャッターがあまり開いていないから人もまばら。

 くだんのホテルは深水●駅と南昌の駅の間くらいにあり、歩いて両駅ともに20分はかからなかった気がする。
 ホテル周辺はまるでスラム街のようでホテルの建物だけが高くてかつ比較的きれいな感じで浮いている。たどり着いてチェックイン。大学教授のようなインテリ風の中高年のフロントの人が一人いた。せいいいっぱいガイド本と辞書、英会話本を駆使して伝えてみたがなんだか伝わっているのかがよくわからない。「デポジット」がやっと前金の意味とわかり「前金でもらっていますからお金はいりません」と言われていたことに5分ぐらいたって気づく。宿泊日数も確認できて一安心。オクサンが日本のおみやげの玉露を一袋渡すと、あらら、にっこり。オクサンいわく香港のひとは日本茶を喜ぶそうである。部屋は21階、日本でいえば22階。新婚旅行ということにしてあるのでよい眺めの階にしてくれたのかもしれない。とてもうれしい。

 部屋にたどり着くと眺めがよい。長期滞在者向けの宿舎なのでマンション風。各階に3つの部屋しかない。細長い部屋が三方に90度の位置関係で出っ張っている。だからあまり隣が気にならなくていい。うちは2DK、西側に突き出ていて北と西に窓がある。他に1DKと3DKがあったはず。窓がたくさんあるのでとてもいい。オクサンは窓が二つある4畳くらいの部屋、ボクは隣のもう少し広い部屋に寝ることにした。ダイニングルームにはテーブルに椅子に長いソファー。部屋も汚くはないしキッチンもある。各部屋に収納も十分にあって、広く使えてよい。

 この街の南北には高速道路が延びている。西には海岸線が見え、沖には島が見える。飛行場に向かう高速道路だろうか。窓からの景色は雑然としているが緑も多く見飽きない。ベッドに寝ながら外が見えて贅沢だ。一泊一人5000円は新婚旅行なら安いといえよう。しかも2週間の滞在だ、わくわくする…はずなんだが、実は先ほどのケンカもありで動揺が治まらず、まだ香港にまったくなじめない感じであった。

 荷物を収納に入れたあと、外に食事に行きたいといわれ外出することにする。もう24時を過ぎている。危なくないのか? なんだか不安だがオクサンはのりのり。フロントでコンビニがどこか筆談の紙など持っていったが、オクサンが身振り手振りと簡単な単語で聞き出す。セブン―イレブンがあるそうなのでオクサンに連れていってもらう。フロントの人の英語は正直よくわからなかった。英語がほとんどわからないのに、オクサンはよく理解できるものだ。萎縮して言葉も出ないし閉じこもってしまう。
 外に出ると雰囲気は裏新宿や池袋のようで怖い。生温い気温で湿気もある感じ。とにかく街がぼろぼろに朽ちかかっている。しかし深夜にかかわらず街の活気のようなものが感じ取れる。だから弱々しいぼろさではない。たとえてみたら、1970年前後の日本の新宿だとかの街外れのような感じだろうか。さびれているというのとはちょっと違うのだ。深水●側に歩いていくとちらほら人もみかける。

 セブン―イレブンに着くと、もう自分がどこからきたのかわからなくなっていた。ドリンクを買おうとしたら店員が何か言っている。広東語と簡単な英語のようだったがさっぱりわからん。オクサンは「3本買うと安いけど買わないか」と言っているという。なんでわかるの? もう帰りたくなる。砂糖無添加の豆乳を探すがない。蔗糖と書いてある。たぶん加糖であろう。100%果汁飲料もない。ブラックコーヒーもない。
 香港ではたいていなんでも砂糖が入っていて甘い。後日加糖豆乳を飲んでみると豆臭くて飲めたもんじゃない。めげる。

 店を出て飲食店を探す。オクサンが入りたいと言った店へ行く。おもいきりの地元向きの店上級者用。びびる。新宿・思いで横町の定食屋よりはるかに汚い。腐った臭いとテーブルの上のこぼれた汁に吐きそうになる。トイレットペーパーが置いてあるのでそれで拭く。オクサンはピータンのお粥11香港ドル(約132円)、ボクは20香港ドル(約240円)のワンタン撈麺。撈麺は茹で上げた麺を平たい皿にのせ上からオイスターソースのようなたれをかけてある。その上や脇に茹でた蝦ワンタンに青梗菜がのっていた。ソースはやたらしょっぱい。喉を通りにくいが蝦ワンタンはうまい。日本で食べるラーメン屋のワンタンよりは水餃子のように具がまるっと入っている。麺は細くて硬い。伸びにくいカンスイの強いタイプ。大衆的な店ではほとんどがこのタイプの麺だった。オクサンのお粥は量は少ないがうまい。米粒は見えないくらいの煮込んだタイプ、ドンブリは茶碗が少し大きいくらいで大きくはなかった。店主なのか客なのか、おせっかいな感じの30代後半の赤のポロシャツのオヤジが世話を焼いてくれる。日本人だということもわかってない感じだが、オクサンはおばさんに笑顔でお金を払うと喜ばれたらしく、1元か2元まけてくれたそうだ。すっかりボクはひとり香港世界に乗り遅れて自閉している状態だった。

 店を出ると、ボクらが食べた店のほかにも何店か開いていて、戸外のテーブルで食事をしている人たちもいる。鍋ものを食べている人が多く、一人でも小さい鍋をつついていた。あるテーブルを見ると小さな老人が一人で食事をしていた。鍋かと思ったが、どうやらインスタントラーメンのようだった。ご飯と一緒にもりもり食べている。その様子が野生動物のように一心不乱で圧倒された。香港で目にした「食事する人たち」は日本の人たちよりはるかに真剣な感じがした。

 あとで気づいたが香港では出前一丁を店で出しているところがある。メニューで「出前一丁」と出ていて、2、3元高かった気がした。宿泊したホテルには調理施設が付いていたので一度「出前一丁」を自炊して食べたが、味は少し違う気がした。少し化学調味料が多い気がした。

【続く】

©2024 tomasu mowa

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