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しゅうかつシリーズ~ボクにも言わせて「アート・絵画を語ろう2 日本のお祭り編①」~「赤や緑や黄色っぽいいろんな提灯のあかりの中で、特にろうそくの提灯がすきだった…神秘的なゆらゆらしたあかり…時間の感覚がおかしくなるようでさ…不安なような、わくわくするような、時間を超える感覚になったんだよ。自分が生まれる前から、この祭りがあって、自分が生まれる前にも、町はあって日本はあって人間がいてって…眩暈っていうか、めまいをかんじたんだよね。生まれる前に感覚がとぶっていうのかな?~」

模話1「日本のお祭りがたまらない気持ちってわかる?」

模話2「知るか(笑)」

模話1「例えばさ、ボクの生まれた町にお祭りがあってさ」

模話2「うん。江戸時代から続くというあの無茶な感じの祭りだろ(笑)」

模話1「そうそう。勇壮な祭りで、元々は夜中までやってたんだけど…小学校のときにさ、2名の方がお亡くなりになったのよ。不慮の事故に近くて、暴力の結果ではないんだけどね」

模話2「それで、でっかい2輪車の屋台を引く時間とかも短くなったんでしょ?」

模話1「まあ、時代の流れもあったろうし、それでもさ、やっぱりいいお祭りなんだよ」

模話2「よく、外国人の方が、日本のお祭りをたのしんでいる動画とか、喜んでみてるけど…根本的に、日本人でもそうだけど、日本の祭りの根っこをあまりご存じないというかね…気にはなるんだけど」

模話1「きみのいわんとすることはわかった…医者はどこだ!じゃなくて…日本の神社という存在の意味するところや目に見えない祭りを動かしている集合意識ってのか…精神や意識につながってる何かでしょ?」

模話2「ギャグわかりにく(笑)。そうだね。形でとらえても無理だっていうところかな?」

模話1「話し戻すけど…祭りってさ…100年以上前から続いてるでしょ?」

模話2「うん」

模話1「夜、そのお祭りは田舎だから、街頭とかイルミネーションはなくて、暗めだけど、町はお祭りのための装飾というか、提灯や、雪洞やら電飾で夜は結構幻想的に変わるわけ、三日間だけは」

模話2「その夜に提灯がいっぱいついた〈でっかい2輪車〉の屋台がゆらゆらと町中を10台くらいが練り歩くんでしょ? そりゃあ日常とは違う世界になるよね」

模話1「屋台だけどね…数千万するわけ、田舎の家一軒りっぱなのが建つくらいの金額だよ」

模話2「写真みても、彫り物にしろ、宮大工さんがやるような現代の名工がつくってる文化財レベルの芸術作品だよね」

模話1「そうそう。その、いわば神社を左甚五郎がつくったような屋台なわけさ(笑)。そんな豪華なしかもセンスがよくて、これ見よがしな派手な感じではないのよ…粋な感じ。古田織部じゃなくて小堀遠州的なさ(笑)。いまのは発言はイメージですが…そんな豪華な粋な屋台を夜になると、牛車でいうと前の轅(ながえ)と軛(くびき)の内側部分に人がいっぱい入ってて、くびきどうしを衝突させて〈ねり〉っていうことをするわけさ。地元民ながら、あれを初めて見たときは〇〇〇がおかしいのかと思ったくらいだよ」

模話2「要するに、ライブハウスのステージ前でダイブする感じでしょ?」

模話1「ほんとに、パンクのダイブって、地元の祭りからヒントを得たのかと(笑)」

模話2「祭りってのはその町、村の浄化の儀式だからね…二元的なエネルギーをすべて浄化するってことだから、悪いものは出すんじゃない(笑)」

模話1「酔っぱらって大騒ぎするってのも浄化のひとつってわけか?」

模話2「もちろん、喜びのもとでするってことだけどね」

模話1「確かに、あんな乱暴な祭りなのにさ、祭りが終わると…町がきれいになっている感じがいつもあったな。友達とも仲良くなったりしたし…町の一体感ってのは増すんだよね。確かに」

模話2「京都の祇園祭でも御旅所ってあって、八坂神社の神様はお宮を出られて、御旅所で休まれるわけやで」

模話1「地元の祭りではさ、お渡りっていって…祭りのクライマックスで町中を屋台がお供をして、ご神体を伴って宮司や神主、舞子さんたちがともに各所を浄化して歩くわけね。それは、祭りを見に来るひとたちもお祓いしてもらうように、その行列を敬して見守るわけ。屋台に乗る連中は結構見物客もいるし、張り切ってお囃子やったり、屋台をひいたりするわけね。あと…舞子返しっていう…神社でお祭り期間、神様に踊りを奉納していた舞子たちが最後の日に神社を出て各自宅まで屋台に乗せて送るイベントがあるのよ。それが、祭りの中でも最高潮のイベントで、神事をしていた神聖な舞子さんたち=小学生の女子たち…が、屋台に乗って自分ちまで帰る。着くと、当番の法被来た大人に肩車されて家に帰っていくのさ。それが、なんだかとっても重要なことなんだって…みんな感じている気がしたね。思い出すと、なんだか泣けてくるんだよね。文で書くと、それだけなんだけど…子どもの時は、屋台が来るといてもたってもいられないわけ。また、お囃子は三社祭りから、来たともいわれていてさ。海辺の有名な祭りのお囃子を学んだらしいけど、その前は三社祭→神田明神のお囃子→本所深川のお囃子→出雲神楽とたどれるらしく、要するに出雲神楽(かつての音楽先進国だった出雲の国の神事の音楽)にまつわる音楽らしいんだよ。出雲の神々が遠州には多くまつられてるんだけど、そういうルーツってのか、わくわくする集合意識ってのか…血が騒ぐんだよ。日本人になるってことはさ、国籍ってことじゃなくて…神事の意味を意識・心で受け入れて感じ取れるようになるってことじゃないかと思うんだよね」

模話2「音楽だけでなく、お祭りの装飾や、そのアート的な要素を含めて…古代から続く、神事にかかわる歴史・意識・精神的何かを日本の祭りに感じるってわけね」

模話1「間違いございません」

模話2「祭りの夜ってのは、昼とはかなり違うよね」

模話1「いつも、子どもの頃感じてたのはさ…赤や緑や黄色っぽいいろんな提灯のあかりの中で、特にろうそくの提灯がすきだった…神秘的なゆらゆらしたあかりでさ。それで、はっぴに肉襦袢を着て夜に太鼓叩いたり、屋台にゆられたりしてると、時間の感覚がおかしくなるようでさ…不安なような、わくわくするような、時間を超える感覚になったんだよ。自分が生まれる前から、この祭りがあって、生まれる前にも、町はあって日本はあって人間がいてって…眩暈っていうか、めまいをかんじたんだよね。生まれる前に感覚がとぶっていうのかな?」

模話2「そんな子どもじゃ、周りと話合わないだろうね(笑)」

模話1「まあね、でもそんなことは言わないほうがいいだろうなっていう、子どもらしくないバランス感覚は当時からあったぞ(笑)」

模話2「子どもらしくないから、大人らしくもなれなかったのね(笑)」