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言語の人格(語学の天才まで1億光年/高野秀行)

早稲田大学探検部出身の作家が、25の言語を学ぶに至る過程を記したノンフィクション。著者は言語オタクではなく、「コンゴの幻獣を探す」「アヘンケシ栽培をする」といった風変わりな目標を達成するための手段として、現地の言葉を学ぶ必要があったと主張する。(が、この本を読んだ人のほとんどは、彼を語学の変態と位置付けるのではなかろうか)
1980年代の若者の勢いを感じさせる冒険譚として、また、テキストはおろか文字さえ持たないマイナー言語の学習方法を知る言語学入門として、とても面白く読めた。

以下、個人的に思った「ここが変だよ」ポイント。

・早稲田でやむを得ずフランス語を選択することになった著者。コンゴのムベンベという幻獣を探すべく現地に足を踏み入れ、コンゴの言葉・ボミタバ語を現地人から学んでいく。そこで出会ったコンゴの小説に魅せられ、勝手に1冊まるごと翻訳。それを卒論として例外的に認めてもらうことに成功。
この作品は後に小学館から刊行もされた。
(ちなみにムベンベは結局見つからず)
「ボミタバ語を話す俺」というアイデンティティが精神安定に繋がることに気づき、それから無力感に苛まれるたび反射的に言語学習を始めるようになる。

・学生ながらアマゾンのガイドブックを書く仕事を得て、アマゾンの幻覚剤を探しに行った著者と探検部の後輩。情報収集のため、川上からと河口からの二手に分かれ中流の街で合流することになる。(携帯もネットもない時代、この時点ですごい)
2ヶ月後、中流の街で再会した後輩は、なぜかポルトガル語で服を売る行商になっていた。ペルーのリマで悪徳警官に銃を突きつけられ金を奪われ、その後、川上から船旅を始めてすぐ船内で盗難に遭い、所持金を全て失ったところペルー人の行商人グループに拾われ、一緒に服を売りながら生き延びたという。
現在の探検部がどんな感じかはわからないが、私の想像を遥かに上回る探検っぷりで笑ってしまった。

・大学卒業後、タイのチェンマイで月給わずか2万5千円で日本語講師を務める。タイ語がほとんどできなかったため、その月給の半額を使って現地の学校に通う。タイの女子大生ときゃっきゃしながら過ごしたこの時代は、著者にとって第二の青春だった。

・「アヘンケシ栽培をする」という謎の目標のために動き出した著者。麻薬王のアジトまでどうにか辿り着いたが、当然簡単には中に入れてもらえない。そこで著者は、アジトを頻繁に訪れて社長と仲良くなるための手段として、「現地語(シャン語)を教えてほしい」という理由をでっち上げ、コネを作ることに成功する。

・そうして中国・ワ州で無事に(?)アヘン中毒になった著者。この地の「ワ語」という現地語には、「ありがとう」も「ごめんなさい」もない。謝意を表明するなら、言葉ではなく食べ物をあげるといった行為で示す。そして何事もなかったかのように明るく親しげに振る舞うのだ。

25の言語を学んだ著者は、言語には人格のようなものが付随するという。例えば中国語なら大きな声で語気を強めて喋る、タイ語は女性的なナヨナヨした感じで、日本語はあまり口を開かずにボソボソと…といった具合だ。これは、”教科書の構文ではなく、現地人から生きた英語を学ぶ”ことにこだわり抜いた著者ならではの気づきだと思った。

ニワトリ卵のようにどちらが先かは分からないが、国民性と言語特性には強い相関があるらしい。海外で生活して人が変わってしまった例を私も知っているが、それはもしかすると言語特性のせいなのかもしれない。

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