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それは、愛ではない(「小児性愛」という病/斉藤章佳)

アルコール、ギャンブル、薬等の依存症を更生させる施設の職員である著者が、小児性愛(ペドフィリア)は依存症の一種であるとして、性被害を”やめ続ける”ため施設に通う者のデータを元に論じた本。

LGBTQには分類されない超マイノリティを描いた朝井リョウの『正欲』でロリコンが一切ふれられていなかったことが少し引っかかっていたが、小児性愛が性癖ではなく”病”に位置付けられているものだから、ということがよく分かった。
では何が病を病たらしめるのか?同性愛は認められて小児性愛が認められない理由は何だろうか?

認知の歪み

小児性愛者の多くは認知の歪みを複数抱えている。
恐怖でフリーズしている子どもを見ては「黙って受け入れてくれた」と思い、痛みで泣いていれば「目を潤ませて感じている」、行為の後に騒がれなければ「この子は自分のことが好きに違いない。純愛で結ばれている」
と、都合のいい現実を段階に応じて作り上げている。

極めて強い欲求

彼らは成功体験を重ねるうちに、ある特定の状況や条件下で自らの衝動を抑えきれなくなっていく。加害者がよく口にするフレーズに「子どもを見ると吸い寄せられるようについていった」というものがある。
あらゆる犯罪の中で性犯罪は特に再犯率が高いことで有名だが、次に捕まれば実刑だと分かっていてもストッパーがかからない。「気づけば子どもが目の前にいた」という感覚が本当にあるという。子どもに性的な接触がしたいという理由で、東南アジアへ売春ツアーへ行く者さえいる。欲求は極めて強く、抗えない。

何が引き金になるのか?

加害者の多くは、児童ポルノを見たことが引き金になったというデータがある。ファンタジーの世界で処理できていれば現実世界の子どもを巻き込まずに済むと思いきやそんなことはなく、確実に被害者を増やすことに繋がる。
だから児童ポルノは厳しく規制されるべきだと著者は主張する。世界的に見れば、日本はまだまだ規制が緩い。

教育現場での隠蔽体質

小児性愛は、被害者と加害者のパワーバランスが大きく偏っているという点でも卑劣である。教育現場で男性教論が生徒を加害した事件が多いのは、もともと小児性愛者だった人(無自覚だった場合含む)が子どもと接する職業を選択しがちなことに加え、教える/教わるというパワーバランスが加害しやすい環境を作っているせいもある。
日本では、一度性加害で逮捕された教員も、罪を償い終えれば教員として復帰できる。(そうして再犯した例もある)
一度でも性加害が発覚した者は、子どもと接する仕事を禁じるよう法律で定めるべきだ。

”やめ続ける”ために

本書には加害者のリアルな声がたくさん掲載されているが、何度も刑務所に入っている42歳男性の話が特に印象的だった。
「前回出所した後は一人暮らしをしていたが、再犯してしまった。だから今回は兄が同居してくれることになった。ハローワークに行った帰り道、近くの公園で小学1〜2年生の女の子が目に入ったとき、オフになっていたスイッチがオンになってしまった。もう大丈夫だと思っていたのに…自分のことが怖くなって、すぐに兄に電話した。話している間、涙が止まらなかった」
そうして彼はこの翌日から、著者のクリニックで治療を始めた。

子どもが被害者のニュースを聞くたび、己の欲さえコントロールできない自制心のない人間だ、子どもが相手だなんて卑劣だし気持ち悪いと、私はそう思ってきた。本書を読んで、それは単なる性欲ではなく病であること、アル中で家族に迷惑をかけたり命を落としたりする人がいるように、”やめ続ける”ことがいかに難しいかを知った。

子どもへの性犯罪は、あらゆる性犯罪の中でも最も”みみっちい”ものだと思われていて、見下げられ、社会から排除される。そうして排除されればされるほど孤立化して、次の問題行動の引き金となり得る、と加害経験者は語る。
病が病と認識されることで、社会の目も変わるのかもしれない。

最後にもう一つ、「敬われたい男たち」の章で紹介されていた、東大名誉教授・上野千鶴子氏の東大入学式での祝辞も印象的だった。

他大学との合コンで東大の男子学生はモテます。東大の女子学生からはこんな話を聞きました。「キミ、どこの大学?」と訊かれたら、「東京、の、大学」と答えるのだそうです。なぜかといえば「東大」といえば、引かれるから。なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えたくないと躊躇するのでしょうか。
なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさの間には、ねじれがあるからです。女子は子どもの時から「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどんな価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや、東大生であることを隠そうとするのです。

対し、著者はこう述べる。

未熟な女性を評価し、再生産しようとする男性たちと、自分を決して脅かさない存在である子どもに「受け入れられたい」と願う小児性愛障害者らとの違いは、もしかすると紙一重でしかないのかもしれない。


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