木曜ドラマ「silent」8話感想

どんな行為も、それ自体は善でも悪でもない。善かどうかは、その行為が何と組み合わさるかで決まる。スピノザに拠れば、そういうことらしい。

風間くんが手話サークルを作ろうとしたこと自体は善でも悪でもなく、それ自体は別に褒められも誹られもするべきではない。

風間くんの働きかけで実際に手話話者が増えたり、その人たちのろう者への関心が高まれば、多くのろう者にとっても暮らしやすい社会への一歩となる。その便益は、奈々さんの気持ちがどうであろうと確かに存在するだろうし、意義あるものだろう。
なので功利主義的に捉えれば風間くんのしたことは、善と言える。

ただ一方で、奈々さんにとってはそうじゃなかった。

奈々さんはただ風間くんとお話がしたかっただけだった。なのに、それが手段として転用されたと感じたことで、風間くんとの間に認識のズレが生まれてしまった。

奈々さんとしては、自分がせっかく風間くんに教えた手話が、知らないうちに自分とは重ならない異なる世界の中で利用されたように思えたのだろう。

風間くんにしてみれば、社会に手話を広めることが奈々さんの便益になると考えたから始めた活動なのに。つまり奈々さんを大きく中心に据えた世界を広げようとした。そのことがなぜ伝わらないんだ、と忸怩たる思いだっただろう。
その上、善意は押し付けられたら偽善なの、なんて言われたら何の為にやってきたのか分からなくなってしまうのも頷ける。

偽善だろうが動機がなんであろうが、その結果がもたらす影響が功利主義的にプラスになる行為は、社会にとって善と見做される。その点で風間くんは間違っていない。

だが、功利主義での善はトータルでの損得勘定なのであって、多くのプラスに覆われた少なくないマイナスを孕んでいることもある。今回でいえば、ろう者全体への社会的な便益に対して、奈々さん個人の感情は犠牲になっている。
全体最適を優先すると、個別具体へのプライオリティやホスピタリティは下がってしまうかもしれない。

そこで、前回の7話において、想が声を出さないことについて紬が言ったことが思い出される。
「多くの人はそうってだけで。でも『少ない』って『いる』ってことだもんね」

統計や一般論や功利主義に隠されている、それぞれの個別具体的な人の思いをなるべく丁寧に掬い上げ、丁寧に真摯に向き合おうとする。そういう姿勢がこのドラマの登場人物には通底している。

あの頃の奈々さんと風間くんは、そのグラデーションの中の個別具体的な関係に不具合が生じた時、きちんと伝えて話し合うには、まだ青すぎた。
どちらも悪ではないのに、タイミングとして当時はまだその組み合わせが悪かった。

時を隔てたぶん、同じ組み合わせでも善いものに変わっているようにみえる。そういう期待をしている。来週も楽しみ。

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