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受容

夫との死別を受容して、やっと次へ進めた。
受け入れたくない事実でも、受け入れなければその先へは進めない。
どんなに辛いことだってそれを無視するわけにはいかない。
スルーしてもまた同じようなことが起こる。


初めての弔い事は、記憶も曖昧だけどまだ幼稚園ぐらいだったと思う。
悲しいとかそういう感情は全くなかった。
親せきのおばちゃん。年齢はわからない。
いなくなったんだな、と受け止めただけだったように思う。
葬儀の時の親せきのみんなが話す内容に、幼いながらも耳を傾けていた。
「かなり悪かったみたいだ」「ご主人が可愛そうだ」
「お店はどうするのだろう」色々聞いたこと、不思議なことにまだ覚えている。
その後、奥さんに先立たれたおじさんは、お店を再開し、いつもと変わらないように私には見えた。

それから、親戚のおじさんが亡くなったのは中学生のころだった。
あまり、好きじゃないおじさんだった。
お正月に行くと、お年玉をあげる代わりに何かしてくれと言われたり、なんとなく、いやな感じを持っていた。。
そして、そのおじさんが亡くなった時、その時は不謹慎にも、もう会わなくて済むんだと思った。
おじさんが亡くなって、おばさんは悲しくて仕方がないといった様子だったけど、闘病の末だったからか、もう苦しまずにすむからこれでよかったと言っていた。

それから、大人になって職場で人の死を経験する
・30代の男性で書類のやりとりをする程度だったが、奥様を脳卒中で亡くされた。
・一緒のチームで仕事をしていた酒と競馬が大好きだった男性の突然の死

どちらも驚いて、そんなことあるのかと信じられない気持ちだった。
奥様を突然亡くされた方は数日で普段通りに出勤していた。
普段通りにしていたけどこちらの見る目が変わったのか、寂しそうに見えた。
でも今ならわかる。仕事でもしてないとやってられなかったと思う。
新婚さんだったし・・・

酒と競馬好きの方は、前日まで一緒に仕事もしていたし、とても気さくで正確のいい人だった。
突然の訃報に職場の誰もがショックを受けていたのを鮮明に覚えている。
もちろん葬儀にも参列したけど、それでも信じられなかった。あんなに元気だったのに突然・・・

数年後、自分の身にも起こった。
夫は突然死んでしまった。

あ、もっと前にもあった。
小学4年生の時に、クラスメイトのお父さんが仕事中に機械に挟まれて亡くなった。
とてもよく覚えている。
授業中に担任の先生がすぐ帰るようにと伝えていた。
しばらく休んで、変わりなく明るく登校していた。
本当に明るくて、彼女のお母さんも、変わりなくいつも笑顔でおはようとあいさつしてくれていた。
実際のところは悲しいはずだったと思う。

その時の出来事が、ちょっとどう表現していいかわからないけど、とても役立った。

突然夫がなくなった私と父親をなくした子供の例
うんと前に疑似体験したとでもいおうか、そういう感じ。
この先どうしていったらいいのか、少しだけそこから学んだ気がする。
学んだというか、一気に全部思い出したという感じ。
脳の引き出しがあいたって感じ。

私のクラスメイトは普通に登校し、その子のお母さんはいつもと変わらずパート勤務。
その後、風の噂で結婚して子供にも恵まれたと聞いた。
きっと幸せに暮らしているのだろう。

それは私の希望の光でもあったような気がする。

みんな、恐らく受容して、その後の人生を生きていたい。

受け入れようとしても認めたくないという気持ちが大きかったけど
遺品整理をして、波動がよくなって、夫の魂を感じるようになって、ちゃんと見守ってくれていると確信が持てるようになり、現実を受け入れた。

今こうやってここに書きながら思いだしているけど、ところどころ記憶がない。
気持ちの波は激しかった。道を歩いていても、電車に乗っていても、買い物していても、急に悲しくなって涙が出てきたり、家族連れを見ては嫉妬したり。
最近は悲しいとか寂しいとはうまくつきあえるようになったけど、それでもやっぱり思い出すとさみしくはなる。

魂は生きていると信じる。
スピリチュアルなこと、死後の世界はあると私は信じているのです。

それから日々の生活の中に少しでも幸せを見つけるようにしています。
おいしいコーヒーを飲むとか、花を飾るとか。

我が身に起こったことを受容する。
これがないと次に進めない。
受容、これが一番難しい。

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