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ごまかしと誘いの違い

認知症対応で葛藤を抱くときはありますか?
嘘をついてごまかしている自分が嫌
だましている気がして・・・


1.ご家族不在の対応

先日、とある出来事がありました。
認知症が深く、ご家族さんの送り出しがないと家から出られない方。
2泊3日でご家族が家を不在にするということで、日中できるだけ人の目が効くようにデイを利用できないかと。

利用拒否があるのではなくて、
その方の世界観の中で外に出られない理由があって普段から御家族さん不在の日は利用につながらないという方だったのです。

ご家族さんもこの状況を理解していただいているので、
無理だったらしょうがないとご理解はいただいておりますが、
ケアマネさんとしては、この2日間だけでも利用につなげたいと朝のお迎え時に参加すると言っていただけました。

が、しかし…


2.馬鹿にしちゃいけない

この方の世界観というのが、
利用中は、子供が小学生や中学生時代に戻ることが多く、
朝のお迎え時には、父親のことを見ていた時代や、子育て時代、
家を守っている時代が多くあります。

ケアマネさんと待ち合わせをしており、
私が誘ってみるからと。

ピンポーン

「はい」

「〇〇さん、ほら行くよ‼」

「え⁉ どこへ? 今まだうちの…」

「参観日だから、ほら息子さんも待ってるから‼ 来てくれって言ってたよ」

「え⁉ 何も聞いてない。ちょっと待って、まだ子供たち寝てるから聞いてくるから」

「いやいやいないから、もう学校行ってるの。だから行くよ‼」

「いえ、行けないわ。まだ家のこともしないといけないし、子供たち寝てるから起きたらご飯食べさせないといけないから、今は家を空けられないです。すみません。」

「大丈夫だから、ほら学校で待っているんだから」

この押し問答が続きました。


ご家族からの要望はもう一つ、朝のお薬を飲ませてもらいたいこと。
こちらも難しいと思うので無理だったら構いませんとのこと。


(先ほどの押し問答の続き)
「わかった。それじゃ、これだけ飲んで」

「何ですか?それ」

「これ朝の大事なお薬だから」

「いえ、薬なんて飲んでないですから」

「いつも飲んでるよ。これ息子さんからお願いされたんだから。ほら、水持ってきて」

「いえ、いいです。どっこも悪くないので」

「大丈夫、ちゃんと病院から出てるお薬だし、息子さんから預かってるの」

「私、病院なんて行ってないですから」

「行ってるんだよ、息子さんが2日間家を空けるからお願いされたんだから。飲もう‼」
「とりあえず、水を持ってきて‼」

「いえ、本当に病院なんて行ってないですし、元気ですから。」
「知らない物を飲むのは嫌ですから」

と、こちらも押し問答が。


結果的には、利用にもつながらない。
お薬も飲めませんでした。

ケアマネさんは、悪気があってこのような対応をしたのではなく、
責任感を持って何とか利用につなげたいと一生懸命に考えてくれた行動であったことはお伝えします。

ただ、残念だったのが1つ。

認知症だから、どうせ忘れるから。

この考えを基に立てられた戦略であったこと。

認知症だからごまかして連れ出してもかまわない?
どうせ忘れる?
着いたころにはわからないから?

馬鹿にしちゃいけないのです。


3.どちらが真っ当なのか⁉

凄く辻褄が合わない会話になっていたことがわかりますか?
家にいると思っている子供が学校にいて、参加日だと言われている。

これ整合性がないですよね。
ご本人の中では家にいるのですから。

今度は突然、
今まで学校にいると言っていた子供(小学生)が、
外泊するから薬を飲むように頼まれたと。

これ整合性がないですよね。
今まで職員が子供は学校だと言っていたのですから。

そして、病気もしていない、病院にも行ったことがないのに薬は出ている。

これも整合性がないですよね。
行ってもいない病院から薬が出るはずがないのですから。

この状況、どちらが整合性のある会話をしているかというと、
利用者さんですよね。


「息子は家にいるから行けない。」
「今まで学校に行っていると言っていたのに急に不在にするって怪しい。」
「それに、今家にいるからあり得ない」
「病院に行ったことがないし、今病気もしていない、元気だ。何の薬かもわからないものは飲めません」

非の打ちどころがないくらい、至極当然の主張ですよね。


4.ごまかしと誘いの違い

認知症の方が今いる世界観で話をされることや、
訴えかけられることに対して、嘘を言うのが気が引ける。
騙しているような気持になる。
そんな葛藤を相談されることも多くあります。

当然のことながら、騙そうと思って言葉を紡いでいることはありません。
嘘をついてやろうと思って言葉を選んでいるわけではありません。

みんな、その方を思っての言葉です。

もうすでに亡くなっている方が生きているとお話をされている方に対して、真正直に答えるとすると、

「もう〇年前に亡くなりましたよね? ご自宅にも遺影が飾られていますよ」と、なります。
この時、
生きていることが事実であると思っている方からすると、どうなのか。

「この人、なんでこんな嘘をつくんだろう」
「私のことを騙して、何か企んでいるのかもしれない」
と、本当のことが嘘と受け止められます。

もしかすると、
「あれ…そういえば、お葬式をあげたような気がしてきた…」
「でも、今朝も朝ごはんを食べさせてきたはずだよね?」
「え⁉ どういうこと?? ハッ‼ ここはどこなの!?」
と、混乱が起き、不安が襲い、パニックになることだってあります。

このことがわかっているから、真正直な返答をしないときがあるのです。


私が大切にしたいことは、
ごまかそうとしないで、できるだけ誘いをすること。

どうせ認知症だから忘れるから。
行ってしまえばわからないよ。
いつも子供が小さいと思っているんでしょ?
それなら学校に行くことにすれば行けかもよ。

出だしがここにあると、ごまかしになります。
なので、
今この方がどんな世界観にいるのかを聞き取ることができない。
感じ取ることができなくなります。

一生懸命、ご本人は子供が家にいると言っているのに、
ずっと「参観日に行くよ」と言い続ける。
これが、ごまかしです。

これに対して、誘いは、
挨拶から始まり、
今どんな世界観なのかを探りながら外に出られるように糸口を探す。

「おはようございます。お一人ですか? 息子さんおでかけでしたか?」
「そうなの。今一人だから家のことをして、少し休んでいたところなの」
「そうでしたよね、実は息子さんから家を不在にするからって・・・」
と、外に出られるように誘います。

実際にはそんな上手くはいかないんですけどね(笑)

「どうせわからないから」「適当に言っておけばいいから」
と、思って接することが、ごまかし。

認知症であっても、
その人の “いま” を見つめて、
なってもらいたい、してもらいたいことへ会話を紡ぐことが、誘い。

ゴールは同じでも、関わり方が違います。
私たちの相手への向き合う姿勢が、ごまかしになり、誘いになります。

大切なことは、嘘をつく・つかないじゃないんです。

どんな気持ちで、どんな心で相手と向き合うかだと思います。



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