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深い森は人をシャイにさせる 出会いは突然だから

2022年4月15日
(以前アップした「ボクのサピエンス全史」から抜粋し修正した記事です)

○月△日
 日本各地へ出向き、車窓などを眺めると、日本は山だらけということに気づかされます。Google Earthで俯瞰すると日本の大部分が濃い緑色です。つまりその山々はほとんどが鬱蒼とした木々に埋め尽くされています。

 裸状態の山は、高い山か人工的に削った以外では見たことがありません。日本が温暖で雨に恵まれているので、あれだけの濃い木々を維持できているのでしょう。

 一方で平野部は、現在は市街地か宅地、田畑などの耕地となっていますが、昔はどんな風景だったのでしょう。昔とは、弥生時代の農業が始まる前の縄文時代やその前の旧石器時代ほどの大昔です。

 おそらく平野部も鬱蒼とした木々に埋め尽くされ、深い森のような状態だったのではないでしょうか。古墳を見れば、こんもりとした木々に覆われていて地肌も見えません。人が介入せず放置して自然に任せておけば、古墳のように木々に埋め尽くされるのです。特に西日本は常緑広葉樹に覆われ、冬でも鬱蒼としていたはずです。

 その平野部の木々を、弥生時代以降の日本人は農業のために少しずつ耕地へと変えていきました。奈良時代の墾田永年私財法で、一気に平野部の耕地化が進みました。森林を開墾して田に変えてやれば、その土地が代々自分の所有物になるのだから必死になります。うひょうひょ言いながら、あちこちの木を切り抜きまくったでしょう。

 時代が進んで、租税の重さのため、もっと田を広げようと、平らな土地にある木々は、根こそぎ無くなっていったはずです。そのようにして日本の平野部の森は無くなってしまったと考えられます。

 多くの日本人が平野部だけで暮らすようになったのはは、ここ二、三千年くらいでしょうか。一方で原始日本人は日本列島に少なくとも四万年前から住んでいることがわかっています。つまり日本人は、ほとんどの時間を深い森で暮らしてきた森の民だったと言えます。

 森の民としてのDNAが数万年、数千世代に渡って育まれてきたのです。稲作をしていたのは最近の日本人の姿なのです。深い森の中で猪や鹿を狩り、クリやドングリを拾って食べていたのです。森林狩猟採集民族だったのです。

 さて、深い森に住んでいると、どんな精神構造となるのでしょうか。タイトルに書いてしまっていますが、人に対してまずは警戒する、つまりシャイになると考えました。

 深い森では、見通しが良くありません。また雨風があると細かな音がわからなくなります。つまり、他人が近づいてくることを事前に察知できないことがあると思われます。

 知らない人と出会う時は、かなり近づいてしまった状態、時にはお互い攻撃できる範囲に、相手が突然ぬっと現れてしまうのです。相手が悪意を持って近づいていたとしたら、即座に戦う必要があります。油断していたら殺されるでしょう。

 挨拶などは二の次です。まずは一定の距離を空けた方が無難です。そんな戦略を取った者が生き残りやすいのです。常に緊張してビクビクすることにコストをかけたほうが有利だったのです。常にオドオドしないオープンマインドな者は、命を落とす確率が高かったでしょう。

 さて一方、深い森が育たない地域や、草原や砂漠に住んでいる人類はどうでしょうか。他者との出会いは突然ではありません。
 見通しがいいので人と遭遇するときは、遠くにあらかじめ見えるはずです。まずは敵か、悪意があるか、見極める時間が十分にあります。お互い、自分が属している証拠となるものを示したり、言葉があれば声をかけるなどをするでしょう。
 そうです。まずは挨拶をするはずです。そういう戦略を採用したでしょう。対人関係に緊張するコストは無駄だったはずです。緊張は野生動物にだけ向けられたでしょう。

 人間同士が出会うとき、深い森の民は緊張しながら距離を取る。草原の民は緊張はせずに挨拶をする。
 これを何万年、何千世代も続けてきたのです。対人関係で心を開きやすくなる精神構造を持てたのは、もちろん草原の民なのです。森林の民は人と対する時にビクビクしてしまうようになりました。草原の民からすればシャイに映ることでしょう。

 さて深い森の民は、突然の出会いに対して、すぐに動けるよう日頃から準備も必要です。自分の持ち物がどこにあるか気を配っておかないと、急な戦いや逃避に備えられません。几帳面さが発達するのではないでしょうか。音や臭いに敏感になって神経質さも育ちます。臭いに敏感になると、機能的に繋がっている味覚も繊細に発達します。

 一方で草原は、森よりも寒暖の差が激しく、食料も乏しいので、そこで育つと基礎的な生命力が強くなるはずです。几帳面さや感性よりも基礎生命力が必要になるのです。何でも食べられる鈍感さが必要になるでしょう。斜め角度の穿った見方ですが、我々日本人と、他の民族の違いが現れている気がするのです。

 深い森の民は、日本だけではないようです。中国南部からマレー半島も同様です。照葉樹林文化圏という捉え方もあるようです。このあたりの国民性も、シャイなイメージがあります。几帳面さや感性などは、何とも言えませんが。

 ちなみに日本の歌謡曲で「出会いは突然」で検索すると、70曲ほどの歌詞が見つかりました。少女漫画の95%は、第一話で突然の出会いがあります。これは適当です。とにかく出会いの突然さに、現代日本人も心を揺り動かされるのです。

 草原や砂漠なんかで育った粗雑な毛唐どもには、邂逅への情緒の揺れは理解できないでしょうね。毛唐のみなさま、ごめんなさい。それではまた。

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