黒船の世紀 読書録

自分が世の中にどう刺さっていくか。それが生きる上でのその人の人生の仕事だとしたら、日本における作家という仕事の価値は、社会的コンセンサスを得ているだろうか。黒船の世紀の著者猪瀬直樹は、作家の仕事の価値を社会に刺そうと、インストールしようとしているように思う。

本著は歴史をなぞらえつつ、過去の作家の仕事を発掘する事で、作家の仕事とは、どういう影響を与えうるのかを浮き彫りにする。合わせて「日本人の精神史、中でも外圧にどう向き合ってきたか」というテーマを著者自身の仕事として描き出す、2重の構造になっている。

日露戦争から第二次世界大戦に至るまで、日米未来戦記というジャンルの本が存在した。戦後、その存在はほぼ人々に伝えられていないが、国内で確認できるだけでも500を超える作品が出版され広く人々に読まれていたという。また日本国内のみならず、日清、日露戦争に勝利し突如国際社会にその存在感を表してきた極東の小さな島国に対し、様々な思惑を持つ米国、英国においても同様のジャンルの本が出版されていた。

日米未来戦記は、軍事経験を背景にした精緻な内容で構築されたものから、SF空想物語の域を出ないようなものまで多岐にわたった。当初は日露戦争の勝利に高揚する日本社会を映し出すものであったり、極東の未知なる民族への恐怖が描かせる物語だったものが、次第に現実的な戦術シュミレーションに近いものになっていく。これらを通して眺めると戦争に突入していく、時代の空気、軍人の視線、世論が形成されていく潮流が浮かび上がってくる。

そこには作家の仕事が存在する。

時代の契機の中で、作家は想像力をもって物語を生み出す。明文化された著作は読み手の間で共通のコンセンサスを生み出していく。その空気感が更に次の著作のインプットになるというサイクル。作家と読み手は相互に作用しながら世論を形成する。著者は「なぜなら戦争は想像によって呼び寄せられるから」「作家の感度は、プロフェッショナルな軍人に劣らない。軍人は政治を反映するが、作家は国民全体を反映する。」「軍人が国民を引きづったのも事実だが、世論も軍人の思惑を超えて戦争を呼び込んだ。未来戦記は軍人と世論の境界に位置した。」と書く。

本書の文字数の大部分は、日米未来戦記の流れを緻密に追うことに費やされている。そこには各々の作家の背景と視点、市井の人々の歴史の事実が描かれている。この積み上げによって作家の仕事の意味が説得力をもって迫ってくる。文庫本で554ページに渡る長編だが、この説得力は、この緻密な取材と情報があってこそだと思わされる。

一方で、著者猪瀬直樹自身がテーマとする日本人の精神史、である。
日本人にとって他者とは常に外圧なのであろうか?日本人はそれにどう対応してきたのか?

本著の中では二つの外圧が取り上げられている。一つはペリー率いる黒船の来航、もう一つ
は白船の来航である。

一つ目の外圧、黒船の来航について。
プロローグに記された黒船来航時のエピソードが心にささる。(別のエントリーでも引用したので恐縮であるけれど)シーンは下田と函館の開港を取り付け目標を達成したペリー一行が日本代表を黒船の甲板に招いて祝宴を催した、その席上だ。酔って焦点の定まらない眼をした、日本代表の末席にあった松崎老人が、ペリーの顔を覗き込んだ後やおら抱きついた。

“ペリーはこう記している。「彼の腕を私の首のまわりに投げかけて、英語に直すと”日本とアメリカ、皆同じ心”という意味のことを日本語で繰り返し、そして彼の酔った抱擁のなかで、私の新品の肩章をつぶしてしまった」
この松崎の(中略)安堵の気持ちを、僕らは嗤うことができるだろうか。そして、「皆同じ心」と信じてしまう迂闊さについても。
(中略)ペリーは余裕の苦笑を投げ返している。なぜなら、ペリーは日本人が驚くこと怖がることを期待すべく、大艦隊を率いてきたのだった。日本人を脅しすかし、交渉のテーブルにつかせるためである。
無理矢理に門戸を開けさせられた日本人は、あれこれ理屈を並べて交渉の引き延し作戦に出たくせに、饗宴の場においては人が変わったごとく平気で酔っぱらい、抱きついたりもする。他者というものを理解しない、いや他者とはなにか、わからないのである。”(引用ここまで)

「他者とはなにか、わからないのである。」この一言が心にささる。主にキリスト教文化の欧米諸国では、対象を構造化する。対象と自分とは別の存在である。一方日本人は対象と馴染む事で関係性を結ぼうとする傾向があると思う。そこら中に八百万神がいる。自然現象と神、ひいては人間存在の線引きも明確ではない。お陰で阿吽の呼吸が通じて、空気を読むという芸当もできてしまう。周りと自分が違う土俵の存在だという意識が希薄な、ユニークな文化だ。200年以上鎖国をしていた当時の日本人にとって、外国人はさぞや“異”人であったろう。が、その“異”人に対してすら「みな同じ心」と馴染もうとする。

もう一つの外圧は白船の来航である。
1908年(明治41年)アメリカの大西洋艦隊16艦が、大西洋から米国西海岸へ寄港した後、急遽世界一周航海を宣言して日本へやってきた。船壁を白く塗っていたことから白船と呼ばれている。「すわ、日米開戦」と世界に緊張が走る。この時、米国の目的は日本を威圧する事だ。大西洋艦隊はは日本の連合艦隊の2倍の規模。これに対し日本側は徹底的に低姿勢、大歓迎作戦に出て事なきを得た。だが歓待のすぐ後に日本の連合艦隊は九州沖で大演習を行なっている。

著者はこの歓迎作戦のあまりのへりくだり加減に黒船来航時に植え付けられた心底震え上がる恐怖の反動を見る。当時朝日新聞に掲載された大隈重信の談話は、まるでアメリカ側に立って日本国民を諭すような口調で、過剰な程のアメリカ、ひいては黒船に遡ってまでおかげ節を続ける。この卑屈さの背後にあるのはアメリカ脅威論だ。

いっぱしの大人というより、子供っぽくはないだろうか?または、被害者意識、その域を脱していないと言えないだろうか?国民国家の形成以降、日本人は「他者を知る大人」であれたのだろうか?西洋文化と同じ方法論を取る事が、必ずしも必要だとは、私は思わない。ただ、それが何なのか、私自身の問題としても解を持てていないのだ。

著者はこの大著をこう結ぶ。

”広い海原のいずこか、‘外圧’という不安の霧が立ち上っている神話的空間があるのだ。戦争が終わっても、きっと黒船はそこからやってくる…。満州事変の仕掛け人で『世界最終戦論』の著者石原莞爾(元陸軍中将)は、極東軍事裁判のアメリカ人検事に「平和に対する罪」を問われて、こう開き直った。「ペリーが来航しなければ、日本は鎖国のなかで充分に平和だった。裁くならペリーを裁け!」“

これからの社会を思う時、読んでおくべき本だったと思う。

#読書録 #猪瀬直樹 #黒船の世紀 #日本人の心のありよう



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